弟、お試し彼氏になる。
キーのナンバーを追って部屋の前に到着すると、スタッフの人が待ち構えていて、何が何だか分からないままキーを回収されてしまった。
「見張られてるってことなのかな」
恭しく、でも有無を言わさない態度は、確かに牽制の意味が大きそうだ。
そもそも回収なんかしなくても、ホテル関係者ならドアを開けられるはずだし。
「まあ、さっきみたいなことも起こり得るから……お互いの安全の為に、運営の気配って必要なのかも」
一応、このアプリ主催なわけだし、事件でも起こされたら困るんだろう。
「……はぁ。何か、ちょっと気が抜けた。とりあえず、誰が見てるか聞いてるか分からないところで、そんなことする趣味はないから。何より、せっかく俺とここに来てくれたのに、その気持ちを踏みにじるようなことはしないよ」
わざと部屋の外で宣言してくれなくても、悠がそんな人じゃないってことは分かってる。
「もっと知りたい。もっと近づきたい。……早く、恋人になりたい」
なのに、真っ直ぐ飾り気のない言葉で伝えられ、動けなくなるかと思ったのに。
「でも、ちゃんと順を追いたいんだ。こんな出逢い方だったけど、だからこそ何も飛ばしたくない。だから、安心して」
悠はちゃんと、私に逃げ道を残してくれた。
「俺ね。ほんの少しだけど……それでも前に比べたらずっと余裕があるんだ。君がここに来てくれたから。他の男より、俺といることを選んでくれたから。ね……? 」
だから、中に入っても大丈夫。
ここで引き返しても、どっちでも大丈夫だよ。
「ゆっくり話そう……? 何から話していいか、どう言えばいいのか分からないけど」
でも、私も同じ気持ちだ。
早く、彼を恋人だって思いたい。
姉として出逢ったのにマッチングアプリなんかで再会しするなんて、はっきり言ってどうかしてる。
でも、あの時逃げたものに向き合うって、もう自分の気持ちに嘘は吐きたくないって決めたから。
「……うん。そうだね。じゃあ、もう一回、アプリに登録した時のことから。誕生日の夜、酔っぱらった勢いで登録したんだっけ? 」
「そ、そうだけど。別に、そんなに呑んだくれてたわけじゃないんけど……! 」
ドアを引く時にいきなりそんな話をしたのも、きっとわざと。
気づいてはいたけど、そのどこにも触れずに拗ねてみせると、彼はほっとしたように笑ってくれた。
(……大丈夫。ここから、始められる)
善悪はよく分からない。
とにかく、普通じゃない始まり方。
だからこそ、その過程をスリルとは違う、普通の恋愛で感じるようなドキドキでいっぱいにしていたい。
「誕生日おめでとう。当日に言えなくてごめん」
「ううん。きっと……今言われた方が嬉しいと思うから」
ムード満点のラグジュアリーな室内、飾られた花、ウェルカムドリンク。
奥にチラリと見えて緊張しそうになったのを和らげるように、そっと髪を撫でてくれた。