弟、お試し彼氏になる。




仕事が終わって、駆けつけてくれた悠。
起こすことも涙を拭いていいのかも迷って、ずっとこの狭い部屋で、じっと待っててくれていた。


「何か頼もっか。疲れちゃったでしょう」


仕事してたのは悠なのにそう言ってくれたのは、私の為に人目を気にしてくれたんだと思う。


「食べに行くのはダメ? 」


でも、そんな必要ない。
デートだってできる。
どこへでも、誰の目があったって。


「……絢。顔色悪いよ。家にいた方がいい」


そんなことない。
私、今真っ赤でしょ。
好きな人といて、激甘な彼氏がいて、照れるけど幸せ。そんな顔、してるよ。


「コーヒー淹れるから。少し話そうか」


それは、通過しないといけない儀式なんだろうか。
お父さんの見解は分かった。
もしかしたら、正しい、のかもしれない。
でもそれって、悠に確かめないといけないこと?
今の悠を苦しめてまで、過去を遡らないと認めてもらえないの?
ううん、認めてなんて頼んだ覚えは――……。


「……俺は、君に執着してるサイコだって言われた? ストーカーなんて、生温い表現だもんね。子どもの頃好きになった女の子を、無理やり側にいさせてるんだから」


久しぶりに聞いた「君」。
まるで突き放されたみたいで、悠の服の裾をキュッと握りしめた。


「……覚えてなくてごめん。そう言われたらそんなことあった気もするんだけど、どうしてもちゃんと思い出せなくて」

「ううん。そんなこと全然気にしないで。……ここまできて、まだそうやって俺のこと気遣ってくれるんだね。絢は本当に、優しすぎるよ」


そんなことない。
今私の頭の中を覗かれたら、軽蔑されると思う。
今頃になって悠の過去を教えられて、悠を嫌いになれって言われても無理だ。
嫌いになれないのだから、別れるなんてできるはずもない。
どす黒い負の感情に支配されそうになってる私を救い出してくれているのは、当の悠だというのに。


「それにあの頃俺、捻くれてたからね。めちゃくちゃ感じ悪かったのに、絢は無邪気に笑ってくれて褒めてくれた。上手だね、すごいねって。そんなのは初めてだったんだ」


お父さんの話は本当だったんだ。
本当に私たちは、幼い頃に既に出逢っていた。


「病院にちゃんと行けたら、今度ファストフード食べてもいいよ。治療に耐えたら、ゲーム。言うとおりのご褒美を貰えたら、ついにいい子の称号が貰える。それにうんざりしてた頃に、絢が話しかけてくれたんだ。今だってそうだ」


(……よかった)


もう、抱きしめてくれないかと思った。
でも、やっぱり辛そうで、こんな顔をさせてばかりの自分が嫌になる。


「何もしなくても、何もできてなくても、俺のこと呼んでくれる。絢にならいいやって思ってたのに。絢の為ならいい子にでもなるし、完璧な彼氏になれるよう頑張るし。そんな作り物の俺を好きになってくれても、喜べる。……本気で、そう思ってたんだよ」


あの日、映画館で再会した悠は、笑顔だったのにな。
私も好きって伝えた時も、あんなに喜んでくれたのに。


「でも、絢はそうやって、本当の俺のこと受け止めようってしてくれる。絢は褒めてくれるけど、何のことはない。もともと空っぽだから、詰め込める量が他人より多いだけだ。それに、俺は絢にしか興味がないから」

「私には空っぽには思えない。でも、悠が自分でそう思ってたとしても、好き。誰に反対されてもいい。分かってなんて期待してない。好きな人といたいだけ。誰の許可もなくても叶うけど、悠がいなくなったら絶対叶わない」


誰かが呼んだサイコとやらに、私は堕ちるように見えるの?
だから、今更止めようとしてくれるの。


「……絢。ごめんね」


欲しい言葉じゃないと首を振った拍子に、また涙が溢れた。


「ううん。謝らせて。だって俺、やっぱり絢を手放す気、ないんだ」


すぐにそれが続けられたはずなのに、意味を(ほど)くのに時間がかかる。
それでいて、私は少し安心していた。
今度は、指でそっと涙を拭ってくれたからだ。


「……愛してる。ごめん。どうか、許して……」


私は、悠の一体何を許したらいいのだろう。
いくら考えても分からないのは、私の何かが麻痺でもしてしまってるんだろうか。




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