「この国のために死んでくれ」と言われましたので。
仕方なく……なくない?
「この国のために死んでくれ」
婚約者のはずの彼に渡されたのは、一本の短剣。
愕然とする私の前で、彼が微笑を浮かべて言う。
「私に必要なのは、聖女なんだ。あなたではない。いるかいないかも分からない薄気味悪い女と生涯を共に、なんて考えただけで反吐が出る」
押し付けられた短剣は、王家の宝物庫から持ってきたものなのだろう。
柄には、ふんだんに宝石があしらわれ、王家の家紋が刻印されている。
「この婚約は、失敗だった」
彼がそう言った瞬間──私のこころの中に、明確な閃光のようなものが迸った。
『全く、アリアは仕方のない子ね』
『三百年に一度しか現れない聖女だ!』
『ねえ、お姉様。私、お姉様の婚約者のこと、好きになっちゃった……』
だから、私に譲って?
お姉様の代わりに、お姉様の分まで、私が彼を愛してあげるから──。
「────」
どれほど、そうしていただろう。
だけど、そんなに長い時間ではなかったのだろう。
目を見開いて呆然とする私を見て、婚約者であるはずの彼、ウィルフレド王太子殿下が、怪訝な顔をして私をみているのだから。
「おい、ダリア?」
ダリア・ディアマンディ。
それが私の名前。
ディアマンディ公爵家の娘で、王太子である彼の婚約者だ。
私に短剣を押し付けてきたのは、アステリ王国の王太子である、ウィルフレド殿下だ。
彼は、私に死ねと言っているの。
(どうして?)
混乱する私は、ひたすら自問自答することになった。
どうしてって、彼がアリアとデキてるからでしょ。
端的な言葉が思い浮かび、今までそんな言葉を知らなかったのに、知っている事実にまた困惑した。
ひたすら沈黙する私に苛立ちを覚えたようで、ウィルフレド様が大仰にため息を吐く。
それはわざとらしいほどで、実際、意図して大げさに振舞っているのだろう。
私に、不愉快だ、と知らせるために。
(そう言えば──以前の私は、彼の冷たい振る舞いには耐えなければならないと思っていた)
彼に抗議したり、縋ったりするのはみっともないことだから。
貴族の娘として、感情的になるべきではない、とそう自身を戒めていた。
私は、いずれ王太子妃、そして王妃になる。高貴な身分になるのだから、感情を露わにするような真似などしてはならない、と。
常々教育係にそう言い含められていたのもあって、私は自然、そう思うように──いや、思い込まされていたのだ、と今になって気がつく。
私は混乱した。
今まで、膠着状態、あるいは身動きの取れない状況が続いていたのに、今のは私は端的に物事を整理していくからだ。
私の婚約者は、私ではなくアリアを選んだ。
(それは仕方ないもの。なぜなら、アリアは天真爛漫で、無邪気で、可愛らしくて──私には無いものを持っているから)
そう思った瞬間、私は明確な違和感を感じた。
それはすぐさま、見逃せないほどの不快感を伴って、私のこころに居座った。
…………仕方ない?
(……いや、仕方なく、なくない!?)
姉の婚約者に手をつける妹もどうしようもないが、死ねと命じるこの男はろくでもない。
そんなプライドだけ高い無神経な人間たちに囲まれていれば、それはまあ、自己肯定感など崩壊するというものだわ、とどこか冷静な頭で私は思う。
短剣を手にしたままの私を無視して、ウィルフレド王太子殿下は、その名を呼んだ。
「アリア。来なさい」
それは、私の妹の名前。
呼ばれるのを待っていたのだろう。
コツコツ、と足音がする。
ここは、王城の庭園。
王族専用庭園には、私とウィルフレド殿下のふたりしかいない。
護衛騎士や侍女は控えているものの、距離があるので私たちの声までは届いていないだろう。
赤い薔薇のアーチの向こうから、私の妹が現れた。
艶やかな黒い髪。ルビーのような赤い瞳。
ついさっき、自身の姉に『死ね』と言った男に、彼女は駆け寄った。
「もう、遅いから心配しちゃった」
「すまない。だけど、ダリアが薄気味悪い人形のような女なのは、あなたも知っているはずだ」
そう。ダリア・ディアマンディは、びっくりするほどに気配が薄い。
明るい色のドレスを着ていれば、視界には入るものの、何となくいるな、程度の存在感しか持てない女だった。
明るい桃色の髪に、同色の濃いピンクの瞳。
結構目立つ色をまとっておきながら、絶望的な程に存在感のない令嬢。
それが、ダリア・ディアマンディだ。
だから、ウィルフレド殿下の『薄気味悪い』という言葉もまあ、言いたいことは理解出来る。
(いつも、私が話しかけるとびっくりしていたものね……)
お前、居たのか?と言わんばかりに。
さながら私は幽霊のような扱われ方である。
過去を思い返した私は、ハハ……と乾いた笑いを零すしかなかった。
しかし、それを見たウィルフレド殿下とアリアは恐れにも似た感情を抱いたのだろう。
特に、アリアは涙目になりながらウィルフレド殿下に抱きついた。
「きゃあっ、ごめんなさい。ごめんなさい、お姉様。お姉様の婚約者だと知っていながら、私は……」
しゃくりあげながら泣き出すその演技は流石のもので、私は口元をひきつらせた。
(お涙頂戴劇じゃないんだから……)
そこで──私はふと、気が付いた。
私、知らないことを知っている、と。
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