あなたが運命の番ですか?
 俺は伽耶母さんをリビングのソファに寝かせてから、キャビネットの中にあった抑制剤を母さんに飲ませた。
「ありがとうね、ゆうちゃん」
 抑制剤を飲んでから2、3分が経過すると、伽耶母さんの具合は良くなった。
「……さっきはごめんね、変なところ見せちゃって」
 伽耶母さんは目を逸らしながら、小声で謝る。
「気にしてないよ」
 俺がそう返すと、母さんは困ったように笑った。

 ――亜紀さん……。

 ヒートの状態で、伽耶母さんは亜紀母さんのことを恋しそうに呼んでいた。
 当然と言えば、当然のことだ。

「ねぇ、母さん。母さんは、亜紀母さんと番になって幸せ?」
「えぇっ!?どうしたの、急に?」
 俺の突然の問いかけに、伽耶母さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
「……もちろん、幸せよ?」
 伽耶母さんは、はにかみながら答える。
 俺の脳裏には、亜紀母さんの書斎で見つけた謎の誓約書が浮かんでいた。

「じゃあさ、……母さんたちは、どうして番になったの?」
 俺は今まで、母さんたちの馴れ初めを1度も聞いたことがない。
「えっ、ゆうちゃん、今日はどうしちゃったの?」
 俺がそんな質問をすると、伽耶母さんは分かりやすくしどろもどろになる。
 その様子は恥ずかしがっているというよりも、「話しても大丈夫か?」と困っているように見える。

「……ゆうちゃんも、もう高校生だもんね。それに、婚約者だっているし」
 伽耶母さんは意を決したような様子で、俺のことを見つめる。
「あのね、実は、ゆうちゃんにはずっと黙っていたんだけど……。亜紀さんにはね、私の他に、もう1人番がいるの」
「えっ……」
 俺は、伽耶母さんの言葉に面食らった。それは、亜紀母さんに別の番がいるという事実に対してではなく、伽耶母さんがそれを知っていたという事実に対してだ。

「実は私、亜紀さんと番になる前は、キャバクラで働いてたの。これでも結構人気があったんだよ?」
 それは初耳だ。
「亜紀さんはお店の常連さんで、よく接待なんかで来てくれてたんだ。でもある日、亜紀さんは1人で来店してきたの。しかも大泣きしながら」
「えっ!?亜紀母さんが!!?」
 俺は素っとん狂な声を上げる。
 亜紀母さんが大泣きするなんて、想像がつかない。
 
「びっくりするでしょ?私も、『何があったの?』って聞いたの。そしたら、亜紀さん、『番に騙された』って言ったの」
「……騙された?」
 俺は眉をひそめる。
「亜紀さん、その数日前に交際してたオメガ女性と番になったんだけど、その相手が突然ベータ男性を連れてきて、『彼と結婚したいから別れてほしい』って言ったんだって」
「はっ!?」
 俺は伽耶母さんが語る内容に、頭が混乱する。
 番の女性がベータ男性と結婚したいから、亜紀母さんに別れを告げた?

「な、何で、急にそんなこと……」
「どうやら、そのオメガ女性とベータ男性は学生時代からの恋人らしくってね。結婚したかったんだけど、ベータ男性の収入だけじゃ奥さんすら養えそうになくて、そのオメガ女性も働こうとしたの。でも、番のいないオメガを雇ってくれるような企業なんてないでしょ?そこで困った2人は、オメガ女性が『番のいるオメガ』になれば全て解決するって思ったそうなの」
「それって、つまり……」
「そう。最初からそのオメガ女性は亜紀さんのこと、ちっとも好きじゃなかったんだって。ただ、恋人のベータ男性と結婚して共働きで生活していくために、亜紀さんと番になったらしくて……。要は、『番のいるオメガ』になるのが目的で、亜紀さんに近づいて、番になったの」
 俺は愕然とした。
 それじゃあ、亜紀母さんはただ利用されただけってことなんじゃ……。

「それって、詐欺になるんじゃないの?」
 俺がそう尋ねると、伽耶母さんは苦い顔をしながら首を横に振った。
「亜紀さんがオメガで相手がアルファだったら、詐欺扱いになったと思う。だけど、アルファは何人も番が作れるし、そもそもお金を騙し取られたわけじゃないから、警察も取り合ってくれなかったって……。絶縁の誓約書を交わさせるのが精一杯だったみたい」
 伽耶母さんは悔しそうな表情で語る。
 あの誓約書はそういった経緯で作られたものだったのか。

「亜紀さんは、相手のオメガ女性のことを本当に愛してたみたいで……。亜紀さん、一晩中泣きながらヤケ酒して、私はずっとそれを慰めてた。メイクがほとんど取れちゃうくらい大泣きして、飲んだくれになった亜紀さんなんて、後にも先にもあれっきり」
 伽耶母さんは、懐かしむように微笑みながら話す。
 亜紀母さんは、過去にそんな辛い経験をしていたのか。
 番相手、心から愛した人からそんな裏切られ方をするなんて、想像するだけで心が引き裂かれそうだ。
 しかし、それと同時に、亜紀母さんが自分勝手な理由で番と縁を切るような人間ではなかったと分かって、俺は安堵した。

「でもね、そんな亜紀さんの姿を見た時、私はすっごくキュンとしたの」
 伽耶母さんは満面の笑みで、そう言った。
「えぇっ?どうして?」
「んふふっ、ギャップ萌えってやつかなぁ?それまで亜紀さんのこと、気が強いバリバリのキャリアウーマンだと思ってたから、逆にそういう繊細で情けない姿を見て、ときめいたんだと思う」
 伽耶母さんはうっとりとした表情で、自身の心情を語る。
 
「実は私、学生時代から色んなアルファにアプローチされてきたんだけど、全部断ってたの。オメガって、番になると専業主婦になって子供を産んで、相手のアルファのために尽くさなきゃいけない――。それが私には、何だか不自由で楽しくなさそうだなと思って、番なんて欲しくないって考えてたの。でも、番のいないオメガが1人で生きていくのは、予想以上に大変で……。やっぱり番を探さなきゃなぁって思ってたところに、亜紀さんが現れたの。泣いている亜紀さんを見た時、『私、この人を幸せにしたい』って思った……」
「幸せにしたい?」
「うん、そう。普通はアルファ側が言うセリフだよね?でも、その時の私は本気でそう思った。もし、亜紀さんと番になって、嘘偽りなく心の底から『愛している』って言って、亜紀さんが笑顔になってくれるなら、いくらでも言ってあげたいって思ったの。亜紀さんに対しては『尽くさなきゃいけない』なんて思わずに、『尽くしてあげたい』って思えた。だから、私は亜紀さんの番になることを決めたの」
 伽耶母さんは、どこか晴れやかな表情で語った。
 そして、伽耶母さんはその出来事がきっかけで亜紀母さんと親睦を深め、交際、番成立まで至ったという。
 
 幸せにしたい。
 確かに伽耶母さんの言う通り、その言葉は番の場合、大抵は養う側――アルファが言うセリフだろう。
 だけど、アルファ側だけに許されている言葉ではない。オメガだって、アルファを幸せにすることができる。
 現に、伽耶母さんは亜紀母さんを幸せにできていると思う。2人の息子である俺が言うのだから間違いない。

 嘘偽りない心の底からの「愛している」――。
 もしも、それを春川さんの口から聞けたら、どれだけ幸せだろうか。
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