あなたが運命の番ですか?
 体育教師から解放された後、俺はクラステントへと向かう。
 その道中、俺は前方の少し離れたところに春川さんの姿を見つけた。
 
 ――すっ、『好きな人』……です。

 俺は借り物競争のことを思い出して、再び顔から火が出そうになる。
 あの後、クラスの奴らから「裏切り者」「抜け駆けしやがって」と負け惜しみのように罵られた。
 佐伯からも、「やっぱりあの子、お前の彼女じゃねぇか!」と冷やかされた。

「好きな人」……、好きな人か……。
 いや、あれは俺への建前のようなものであって、本心ではないだろう。
 自惚れ過ぎるのは良くない。頭では、ちゃんと分かっている――。
 だけど、少しくらいなら浮かれても許されるかな?

 そんなことを考えていると、俺は春川さんが誰かと話していることに気づいた。
 それは、星宮さんだった。
 星宮さんは俺に背を向けているので彼女の表情は見えないが、春川さんの様子を見るに2人は親しげに話しているようだ。
 
 春川さんと星宮さん、仲良いのか。
 春川さんは星宮さんを見つめながら、明るくニコニコと笑っている。
 あんな気さくな感じで話している春川さんを、俺は見たことがない。俺といる時は、いつも少し緊張気味なイメージだ。
 モヤモヤとした気持ちが沸き上がる。

 すると、星宮さんは腰を屈めて春川さんに顔を寄せ、彼女の額に触れるような仕草をする。
 それを見た瞬間、ドクン、と俺の心臓が大きく脈打った。
 俺は、まだ1度も春川さんに指一本触れたことがない。
 それなのに、星宮さんが、――俺以外の()()()()が気安く彼女に触れた。
 俺の中で沸々と怒りが湧いてくる。

 春川さん、春川さん、春川さん、――寿々。

 やめろ。触るな。俺以外のアルファが彼女に触れるな。
 ()()()()()()()()()()だ――。

 春川さん、やめろ。俺以外のアルファに、そんなふうに笑わないでくれ。
 君は俺の番になるんだ。俺だけを見てくれ。俺だけを――。

 全身の血が逆流し、俺は怒りに震えながらギチギチと強く拳を握る。
 すると、星宮さんは突然こちらを振り向いて、小走りでこちらへ向かってきた。
 それに対して、俺はギョッとして身構えたが、星宮さんは俺に気づいていない様子で通り過ぎていく。
 一瞬見えた彼女の表情は、どこか焦っているようだった。

 何やってるんだろ、俺――。
 俺は少し冷静さを取り戻し、それと同時に「情けなさ」も感じる。
 春川さんのことを自分の所有物だと思い込んで、星宮さんに「嫉妬」と「憎悪」を抱いた。
 女子同士なら、ああいう距離が近いスキンシップは普通のことだ。
 それなのに、俺は星宮さんがアルファというだけの理由で、頭に血が上ってしまった。
 なんて幼稚で傲慢な人間だろう。
 俺は、本当に春川さんの番に相応しいのだろうか――。

「前園先輩」
 すると、春川さんは俺の元へ駆け寄ってきた。
「さっきのリレー見たよ。すごかったね、2人抜いて1番にゴールするなんて」
「ああ、うん……、ありがとう」
 春川さんは俺を見上げながら、ニコニコと笑ってくれる。
 そんな彼女を見下ろしながら、俺は何だか後ろめたさを感じていた。

「先輩って、演劇部なんだよね?1年生の星宮さんから聞いた」
「ああ、うん……。――そう言えば、言ってなかったね」
 俺は、春川さんの口から星宮さんの名前が出て、またモヤモヤとした気持ちになる。
「星宮さんと仲良いんだね」と言いたかったが、今の状態だと厭味ったらしい言葉も漏らしてしまいそうだったので飲み込んだ。

「どうして運動部に入らないの?」
 春川さんは無垢な眼差しを俺に向けながら、小首を傾げる。
 散々、うんざりするくらい何度も問われた質問。
「……何で、そんなこと聞くの?」
 俺は苛立ちが漏れそうになる。
「えっ?いや、さっきのリレー見てたら、陸上部で活躍できそうなのになって思って……」
 俺の苛立ちが伝わってしまったのか、春川さんは少し戸惑った表情を見せる。

「……小学生の時、体育のサッカー中に、足を骨折したんだ」
 俺は家族以外に初めて、ちゃんとした理由を話した。
 俺にとっての大きな怪我はその時の骨折だけであり、痛くて泣き叫んだのを今でも鮮明に覚えている。
 小さい頃から外で遊ぶことが好きではなかったが、骨折がトラウマとなり、それ以来スポーツそのものに対して苦手意識を持つようになった。
 
 しかし、第二次性徴が始まると急激に身体能力が高まり、体力テストではどの項目も10点が付くようになった。
 アルファの男は、スポーツ経験が無くても潜在的に身体能力が高かったり、筋トレをしなくても筋肉質になりやすい傾向がある。その中でも、俺は特に身体能力に対するポテンシャルが高いようだ。
 そのため、中等部の頃から「運動部に入らないか?」と勧誘されるようになったが、やはり怪我が怖いので全て断っている。
「怪我が怖いからスポーツをしたくない」と言うと、「軟弱者」だと笑われそうで、それが嫌で理由についてはずっとはぐらかしていた。

「カッコ悪いでしょ、『怪我が怖い』なんて」
 俺は自虐的に笑う。
 すると、春川さんは悲しそうな顔をした。
「ううん、そんなことないよ……。私もボールがぶつかるんじゃないかって思って、球技全般が怖いし……。『怪我が怖い』って気持ち、すごく分かるよ」
 春川さんは真剣な表情で言う。
 俺は、そんな春川さんの反応に驚く。
 春川さんは、俺の「くだらない理由」を笑わずに、真っ直ぐ受け止めてくれた。
 そんな春川さんを見て、「この人は本当に純粋で素直な人だな」と思った。

「ありがとう、春川さん」
 素直に嬉しかった。
 それと同時に、罪悪感が湧く。

「ごめんね……」
「えっ?ど、どうして謝るの?」
 春川さんは困惑する。
 俺は彼女と目線が合うように、中腰になる。
「虫の居所が悪いっていうのかな?さっきの俺、嫌な態度を取ってたかもしれないなって思って……」
 俺は急に、「春川さんを不快な気持ちにさせていたら、どうしよう」と不安になったのだ。
「えっ、全然そんなことなかったのに……。もしかして、私の質問が嫌だった?」
 春川さんは不安そうに、俺を見つめる。
「ううん、違うよ。春川さんとは全然関係ないことだから、気にしないで」

 もっと大人にならなければ――。
 俺は心の中で、そう誓った。
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