【改訂版】ぺちゃんこ地味系OLだけど水曜日の夜はびしょぬれ
将来のこと
愕然として、絨毯の上にへたりこむ桃瀬は、青ざめて沈黙した。石和から「大事にする」と告白されたとはいえ、将来はふたりで考え、きちんと話しあう必要があった。……わたしだけ結婚を意識するなんて、あまりにも自分勝手すぎじゃ?
落ちこむ桃瀬をよそに、圷は(Vネックのシャツにカーキのカーゴパンツというシンプルな恰好で)寝そべって、携帯電話の画面をながめる始末だ。石和に逢いにきたようすだが、階下の住人は外出中につき、桃瀬の部屋で時間をつぶす。……女のコの部屋に堂々とあがりこむなんて、信じられない。
圷は桃瀬よりいくつか歳上だが、現在は学生の身分である(本人いわく、留年したらしい)。桃瀬は社会人の立場として、青年の非常識なふるまいに呆然となるが、気を取り直して洗濯物を片づけた。しばらくすると、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。「はーい」と、なぜか圷が返事をして、来訪者を出迎える。ガチャッ。
「貴之さん、おかえり~」
「おかえり、ではないだろう。きみは、なにをしているんだ」
「い、石和さん……」
「こんばんは、理乃ちゃん。すまない、迷惑をかけたね。直樹くんに失礼なことされなかった?」
「……だいじょうぶです(ふたりとも名前で呼びあってるンだ)」
玄関さきで会話が発生したのち、石和が圷を連れだす。「おじゃましました~!」と手をふる圷に、桃瀬はなにも返せず、「ごめんね、理乃ちゃん。またあとでゆっくり話そう。戸締りしっかりね」といって、石和がドアをしめた。
「……行っちゃった」
ふたりの男性から見おろされる状況は緊張したが、ようやくひと息つけると思ってリビングへひき返すと、圷の携帯電話が放置されていた。すぐに追いかけようとして携帯電話を拾うと、ピンポーンと、ふたたびチャイムが鳴る。ガチャッ。
「わりィ、忘れものしちまった。あ、それそれ、サンキュー」
圷は桃瀬の手から携帯電話を受けとると、「おれさ、カクテルマイスターの資格を取ることにしたんだ。……で、貴之さんが教材を譲ってくれるって云うから、もらいにきた。じゃあな、おやすみ」バタンッ。圷のほうから玄関のドアをしめた。
「直樹くんが、カクテルマイスターに?」
まちがいなく石和の影響だと思われたが、目標に向かって努力する姿は応援すべきだろう。圷の見た目は精悍で、石和とは異なる魅力を持っている。のちに、沙由里に「坊や」あつかいされて悔しかったので、見返すつもりでカクテルマイスターを目ざすという(やや不純)な動機を知ることになるが、きっかけなくして、ひとは変われない。
ようやく肩の力が抜ける桃瀬は、冷凍食品のパスタを電子レンジで温めた。簡単な夕ごはんをすませ、シャワーを浴びる。クリームを手足にぬって、肌理をなめらかに整えた。……なんだろう、この感じ。まだ、こんなにはっきり覚えてる。石和さんとつながった感触を……。ああ、わたし、すごくうれしかったんだ。こんな躰でも抱いてもらえるンだって、そう思えるから……。だから、だいじょうぶだよ、お姉ちゃん。わたしは、石和さんに傷つけられたって、なにも後悔しない。
「理乃ちゃん、入浴中なのか? シャワーの音、けっこう階下までひびくンだな。……なんかエロいな」
石和の部屋で教材を受けとる圷は、桃瀬の裸身を想像した瞬間、ちょっとだけ興奮した。いやらしい感想を述べる圷に、石和は小さく息を吐いた。誰にでも成長段階に個人差があって当然だ。ゆえに、石和は桃瀬を子どもあつかいした覚えはない。
「家まで送ろう。ここまで遠かっただろう」
と、帰り道、車での送迎を名乗りでた石和に、圷の胸は不覚にもときめいた。サラッとした科白だが、紳士的である。紙袋にまとめた教材は、ずっしりと重い。圷は、石和の親切に甘えることにした。
✦つづく