【改訂版】ぺちゃんこ地味系OLだけど水曜日の夜はびしょぬれ

痴話喧嘩?


 アパートへ帰宅したとき、桃瀬の携帯電話が鳴りひびいた。時刻は真夜中につき、あわてて応答すると、セブンスターの裏窓から石和が連絡を寄越した。


「もしもし……?」

『理乃ちゃん、いま、だいじょうぶかな』 

「だいじょうぶです。ちょうど帰ってきたところです」

『それはよかった。今夜は来てくれてありがとう。ぼくとしてはきみに逢えてうれしいけれど、夜道のひとり歩きには充分気をつけてね』  

「はい、ありがとうございます。行きも帰りもタクシーを使っているので、心配にはおよびません。アルコール代も、いつもすみません」

『こちらこそ、理乃ちゃんにカクテルをごちそうできてうれしいよ』

 
 なごやかな会話が一変する。桃瀬の耳に、コツコツとハイヒールの足音がきこえた。石和の携帯電話を取りあげ、『あなた、だぁれ?』という声は、沙由里である。一瞬、桃瀬の表情が凍りつく。……お、女のひとだ。……この声、どこかできいたような? 衣擦(きぬず)れの音がして、石和が携帯電話を取りもどす。


『もしもし、理乃ちゃん? 驚かせてすまない。……沙由里さん、ほら、しっかり立って。ああ、ごめんね。理乃ちゃん、金曜の夜、逢えるかな? ぼくの部屋で待っていてくれる?』

「は、はい。わかりました」

『では、店にもどるね。おやすみ』

「おやすみなさい」


 通話が切れる間際、『沙由里さん、ぼくの肩につかまって』という声がきこえた。セブンスターの客であることは想像できたが、女性の名前を呼ぶ石和の声が耳に残る。……いまのは、あの美人さん? テラス席で話しかけてきた女性と、電話越しにきこえた声が同一人物だと気づいた桃瀬の意識に、なにか暗くて重いものがのしかかった。


 当日の夜、桃瀬は初めて合鍵を使った。本人いわく、部屋で待つようにとのことだったので、石和も承知の上だ。ドアの構造はまったく同じだが、鍵穴へ差しこむとき、なんとなく気がひけた。「お、おじゃまします……」借主(かりぬし)が不在の部屋にあがり、壁のスイッチを押して電気を点ける。真っ先に、寝室ではなくリビングに設置されているパイプベッドが視界にはいるため、思わず頬が熱くなった。……今夜も、エッチな雰囲気になるのかな? それとも、わたしになにか話があるのかな……。

 ベッドに腰をかけ、石和の生活空間を見つめる。簡易的だがシックな後付けバーカウンターや、通路に置かれた観葉植物、男性特有の化粧品のにおいなど、同じ間取りでも桃瀬の部屋とは異なる雰囲気がただよっている。……いくら恋人同士とはいえ、本人がいない部屋って、なんだか落ちつかないなぁ……。

 早く来すぎてしまった桃瀬は、いったんじぶんの部屋にもどろうとしたが、玄関のドアがあいて石和が帰宅した。ふだん見かけるビジネス風のスーツ姿である。

「やあ、理乃ちゃん、ただいま」 

「お、おかえりなさい……?」

「ふふっ、きみにお出迎えされてうれしいな」 

「え? いえ……わたしは……」

 タイミングよく鉢合わせただけにつき、車のエンジン音に気がつかなかった桃瀬は、石和の手から書類かばんを受けとり、にわかに緊張した。……うわわ、これって夫婦みたいなやりとりじゃない? 手洗いをすませてリビングに移動した石和は、スーツの上着を脱いでハンガーに吊るし、ネクタイを(ほど)いた。「夕食は?」と訊かれ、桃瀬は「部屋(いえ)で軽く……」とこたえた。時刻は夜八時をすぎている。桃瀬は、菓子パンとサラダを食べてきた。「なにかのむ?」つづけて、グラスを手にして訊く石和に、「はい」とうなずくと、ハイスツールに坐るよう目配(めくば)せでうながされた。……ああ、ステキな石和さんが目のまえにいる。……わたしのためだけにカクテルを作ってくれるなんて、ものすごく贅沢だぁ。

 石和の長い指を見つめる桃瀬は、上品な甘さが際立つラム酒の風味に微酔(ほろよ)い気分となる。カクテルをのみながら、ふと、電話越しのやりとりを口にした。

「沙由里さんなら、バーの客だよ」

「そうじゃなくてぇ、わたしが知りたいのは、石和さんとの関係ですよぅ」

 ラム酒は酔いやすいアルコールだが、銘柄によって数値は異なり、果汁と割ってカクテルにすると初心者でものみやすくなる。適量を少しずつのんでいた桃瀬だが、思考回路が迷走した。酔った勢いで沙由里について勘ぐると、石和は困ったような顔を向けた。

「ぼくは、きみ以外の女性とは節度をわきまえているつもりだよ」

 ふわふわとした気分になる桃瀬は、石和のことばが遠くきこえた。


✦つづく
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