【改訂版】ぺちゃんこ地味系OLだけど水曜日の夜はびしょぬれ

石和の計画


「理乃ちゃん、珈琲のむかい?」

 ふたりでシャワーを浴びたあと、バーカウンターに立つ石和(いさわ)は湯沸かしを軽く持ちあげて訊いた。ぬれた髪をタオルで拭き、ドライヤーで乾かしてからリビングにやってきた桃瀬は、ハイスツールに腰かけている。

「ミルクと砂糖があれば、のめます……」

 石和は「了解」と応じて、角砂糖とポーションミルクを用意する。コーヒーに使われるミルクは植物性油脂と水でできており、苦味や酸味を抑えてマイルドな味わいになる(見た目は白いが牛乳ではない)。

「熱いから気をつけて」

「はい、ありがとうございます。いただきます」

 カチャッと、手もとへ置かれたマグカップは、シンプルなデザインの耐熱ガラスである。石和の部屋には最小限の道具しかなく、余分な食器も見あたらなかった。……これって、ふだん石和さんが使ってるマグカップなのかな。わたしの躰から、石和さんと同じ石鹼のにおいがする……。なんか、照れちゃう……。

 香ばしい湯気を見つめ、イケオジの日常生活を思い浮かべていると、カウンター越しに声をかけられた。


「理乃ちゃん、きょうの予定だけど、このあとデートしようか」

「……デ、デートですか?」

「疲れていなければ、ぼくの用事につきあってほしい」

 ベッドインのあとで躰はあちこち()りかたまっていたが、石和の誘いを断る理由はないため、「行きます」とこたえた。モーニングブレッドをごちそうになってからいったん二階の自室にもどり、化粧直しをする桃瀬は、石和からの贈物であるチェリーブロッサム色の口紅をぬった。これまで平穏だった休日が、突如として過密スケジュールとなる。今後、石和と過ごす時間は増えて当然なのだろうと思った。

「こんなふうに仲が深まって……、いつかわたしたちは、結婚……するのかな……(そんなこと、できるかな?)」

 石和との将来を真剣に考えて息が詰まる桃瀬は、あたふたと着がえをすませ、ショルダーバッグに会社でも使っている化粧ポーチをしまった。……今夜もお泊り……なんてことにはならないと思うけど、念のため……。眉毛もないし、肌も荒れてるすっぴんを見られちゃったけど、石和さん、なにも云わなかったなぁ……。

 バスルームでの戯れは心臓に悪かったが、石和の肌がじかに触れる感覚は、恋人の特権につき、有意義な時間を過ごしたのだと前向きにとらえた。


 桃瀬が身仕度をするころ、電気シェーバーで顎髭を除去した石和は、髪型を整えて鏡に映る姿を観察した。(あくつ)のような若者らしい勝気なオーラは感じられないが、壮年として洗練された品位がにおい立つ。やさしさとかっこよさのバランスは職業柄につき、生来の気立てとは関係なく身についた能力である。他者とのつながりを大切にするうえでの節度は必須だが、桃瀬への好意や親しみは、ある種の独占欲へと変化しつつあった。ベッドインという既成事実を共有する今、より関係を深めるチャンスである。


「ぼくの本気は、これからだよ。理乃ちゃん。すぐに満足してもらっては困るからね」


 思わせぶりな科白(せりふ)で恋人の気をひく石和だが、年齢のわりに幼さが垣間見える桃瀬の躰へ触れるたび、ほんの少し背徳感にとらわれた。たとえ合意の上でのベッドインだとしても、あまりにも必死なようすが見てとれるため、石和のほうでためらいが生じた。


「きみに、ぼくの正体をおしえてあげよう」


 桃瀬は、石和と交際をはじめても共通の話題が思い浮かばず、口数は控えめだった。種明かしをする頃合(ころあい)を見計らっていた石和は、そろそろうちあける段階だと思った。


✦つづく
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