とある令嬢の断罪劇

贖罪

 わたくしには別の人生を生きた記憶がある。
 前世と呼ぶべきなのだろうか。こことは違う文化を持った異国の地での出来事だ。
 その時代にわたくしは男として暮らしていた。
 若き王に仕え、王妹である王女の護衛任務にあたる騎士の立場だった。

 周辺国で戦争が勃発し、小国だった祖国はあっという間に戦禍に巻き込まれた。
 国を守るため、わたくしも王の傍らで身を挺して戦った。
 こう言うのもおこがましいが、王とは幼い頃から共に育った親友のような間柄だった。
 戦況が激しくなるほどに、王との距離は縮まっていくようにわたくしは感じていた。

 期待だけがいたずらに胸の奥で膨らんだ。何しろあのときわたくしは、密かに王に対して恋心を抱いていたのだから。
 臣下として身を弁えるべきだ。まして男同士の恋などご法度と、当然この思いは封印するはずだった。
 それなのに。

 ある夜、酒が入った勢いでわたくしは王を組み敷き欲望に任せて蹂躙してしまった。
 正気に返ったあと、わたくしは王の前で自害することを決意した。
 しかし王は一夜の過ちを許すと言った。
 戦いが熾烈を極める中、騎士は貴重な戦力だ。王は己の矜持よりも、国を守ることを選んだのだ。

 ほどなくして王は自身の命と引き換えに、強国の属国となることを申し出た。
 その後わたくしは年老いるまで生きさらばえた。
 誇り高き王が命懸けで守った平和の上に、安穏とあぐらをかいて。

 遠い過去の記憶が頭を巡る。
 王子の婚約者として選ばれたあの日、わたくしはすべてを思い出した。
 目の前に立つ王子は紛れもなく王の生まれ変わりだ。
 切なく胸を焦がす想いが蘇り、同時に誰よりも大切だった王を穢してしまった罪悪感に苛まれた。

 その日々の中で、王子が聖女と結ばれることを願っていることを知った。
 しかし彼女は平民だ。どんなに望もうと、次期国王と婚姻を果たすなど許されるはずもない。
 その上、王子にはすでにわたくしという婚約者がいる。家柄も申し分なく、王妃教育も完ぺきにこなしてきたわたくしが。

 貴族社会とは特権階級だ。非の打ちどころのないわたくしを差し置いて、平民が王族入りしたとなると多くの貴族たちが黙っているはずもない。
 いかに国を危機から救った聖女と言えど、彼女を王妃に迎えることは不可能に思えた。

 王子もその立場から、最初はわたくしをきちんと婚約者として扱ってくれていた。
 それでも王子は聖女に熱い視線を送る。そのことに胸が痛んだ。
 彼女を見つめる優しいまなざしが、わたくしに向けられることは一度もなかった。

 王子への恋心と、婚約者としてのプライドと、前世で犯した過ちと。
 せめぎ合う思いの中、わたくしは固く決意した。
 若くして非業の死を遂げた王は、今世で誰よりも幸せになるべきだ。

 王子の望みを叶えるために、わたくしは悪を自作自演し続けた。
 誰もが聖女に同情するよう卑劣な事件を仕立て上げ。
 聖女がなくてはならない存在だと信じ込ませるため、国中に噂をばらまいて。
 そしてわたくしが稀代の悪女であるという認識を、強烈に国民に植え付けるために。
 ありとあらゆることをやってきた。

 ここまで本当に長かった。そう思うと感慨もひとしおで、自然と口元に笑みが浮かんでしまう。
 あの日の罪滅ぼしに、わたくしは喜んで悪になる。
 今度こそ、貴方が望む人生を手にするために。

「その人を見下した顔……なんと醜悪な。殊勝な態度で命乞いでもすれば、温情のひとつも与えてやったものを」
「下賤な平民女に屈するくらいなら、わたくし死んだ方がましですわ」
「いいだろう、望み通り今すぐその首を切り落としてやる! 断頭台の準備を……!」

 頷いた執行人がきびきびと準備を始める。
 数人がかりでロープが引かれ、斬首のための刃が高く持ち上げられた。
 衛兵に強引に押し出されて、裸足のわたくしは見晴らしの良い断頭台へと昇らされた。

 乱暴に鷲掴まれて、長い髪が無造作に短く切り刻まれていく。銀糸のごとくの美しい髪の毛は石畳の上を舞い散らばった。
 有無を言わさず膝をつかされ頭を押さえつけられる。
 野次を飛ばす聴衆たちの盛り上がりを眺め、心がどうしようもなく歓喜した。
 首と両手首を固定され、あとはギロチンの刃が落ちるのを待つのみだ。

 前方に聖女を腕に抱く王子が立っている。
 ああ、ようやくこの時が来た。
 最愛の貴方の手によって、断罪されるこの時が――。

 言い知れぬ至福に包まれて、わたくしはその時を待った。

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