恋忘れ
私は声をかけられた方に少し振り向いてその名前を呼んだ。

「暁さん」

私の顔を見て若干不思議そうに見つめてからその先を目で追った。

「陽翔…」

驚いた表情で暁さんはその名前を口にした。

「暁さん、と冬羽…久しぶり。」

私たちに気が付くと陽翔君はぎこちない笑顔でそう言った。

「久しぶり…ほんと。」

私はそう答えるのが精一杯だった。

「誰?知り合い?」

隣にいる綺麗な女性は私たちに軽く会釈をすると陽翔君に聞いた。

友達というには距離の近いふたりを真っすぐに見ていられず私は目を逸らす。

「あぁ、大学の時の先輩、と後輩」

''後輩''

「そうなの?早く言ってよもう。」

陽翔君に驚いた顔をする綺麗なその女性はとても感じの良い人だった。

もしかして、ふたりは付き合ってるのかな。
そんなことを気にする私はおかしいのかもしれない。

だって私には暁さんがいるのに。
それなのにこんな気持ちになるなんて。

傷ついてなんかない。
なんでそんなことを思ってしまうの。

大丈夫。私はもう上手に笑える。

「そうなんです。陽翔も買い物か。」

暁さんが女性の問いに頷いて私の代わりに質問した。
少し庇うような位置で空いた片方の手は私の手を優しく包んでいる。

「はい。こいつに無理やり。」

参ったな、みたいな顔をして笑みをこぼす陽翔君の姿に懐かしさを感じた。

「ちょっと!酷いんですけど。俺も行くって言ってきたの陽翔のくせに。」

「あー、はいはい。悪かった悪かった。」

仲が良いんだなと素直にそう思えるはずなのに上手く笑えない。

「ずいぶん仲良さそうだけど?」

暁さんが疑問系で聞くと陽翔君よりも先に女性が答えてくれた。

「同僚なんです。私たちデスクが近くて。今日は会社のみんなで飲み会で。あ、良かったらおふたりもいらっしゃいます?」

屈託なく笑うその笑顔にさっきまでの自分が恥ずかしくなる。

「何言ってんだよ。先輩たちがくるわけねぇだろ。てかそろそろ行くぞ。」

「そうですか?残念。じゃあ、私先に。」

本当に残念そうに肩を落として陽翔君よりも先に歩き出したその人は私の目にはとても素敵に映った。

「すみません。なんかあいつうるさくて。」

相変わらず私たちとは距離が開いたままで、苦い顔をすれ陽翔君が頭を掻いた。

「いや。俺たちは全然。」

「うん。ね、全然大丈夫。」

取り残された私たち三人に何とも言えない空気が漂っていた。

一刻も早くこの場所から立ち去りたくて

「じゃあ私たちもこれで。"先輩"さよなら。」

ろくに顔も見ずに背中を向けた。

私と手を繋いでいる暁さんもそれにつられるようにして陽翔君に挨拶をしてる声が聞こえた。


「ひゃー、寒いね。」

スーパーでお会計を済ませてすぐに外に出るとさっきよりも冷たい風が吹いていた。

「冬羽」

「んー?」

「何であんな態度取ったの。」

「あんな態度って?何かあったっけ。」

何のことかは自分がいちばんよく分かっている。

だけどわざと知らないふりをしてしまう。

だって認めてしまったらこの気持ちが全て本当になる気がして。

「冬羽。もう冬羽がちゃんと俺を見てくれてることは分かってるから聞くけど、陽翔にただの"後輩"って言われたことに傷ついてる?」

私はその問いかけに答えることができなかった。

''そうだよ’’が本音。

だけど''そうじゃない''。

「冬羽も分かってるんだろ。あれが陽翔の本音じゃないってこと。陽翔が言いたくてあんな言い方してないってこと。だから傷ついたんだろ?」

立ち止まって暁さんは私と向き合った。

「ふっ、なんて顔してんの。」

私の顔を見て笑うとそのまま抱き締めた。

「大丈夫だよ。あいつは、陽翔はもう大丈夫。」

「でも…」

「どうせ、"またあんなに苦しそうな顔させた"って思ってるんだろ?でもそれは冬羽のせいじゃない。あれはあいつの問題だ。冬羽がそれを背負う必要なんてどこにもないんだよ。」

そう言って私を抱き締める力をほんの少し強めた。
さっきまでの靄がかった全てが冬の空気に溶けていく気がした。

どうしてだろう。
どうしていつもこの人は私の言いたいことが分かってしまうんだろう。
そしていつでもそれを否定しない。
その度に私はどうしようもなく安心しているのだ。

「うん。ありがとう。」

大きく息を吸って震える呼吸を整えた。

「どういたしまして。」

私の背中をポンポンと叩いて体を離す。

ふたりの吐く息が白く濁る。

「帰ろうか。」

「そうだね。ねぇ、手繋いでもいい?」

「冬羽からそんなこと言ってくるの珍しいね。」

揶揄うように笑われてやっぱりいいなんてひっこめようとした私の手がするりと掬われて思わず顔を見上げた。

「嘘だよ。嬉しいってこと。」

耳を赤く染めて前を向いた暁さんがとても愛おしくて胸が鳴る。
なんて幸せなんだろう。

だけどそれと同時にふと思った。
いつまでこうしていられるだろうか。
いつまで彼の優しさに触れていられるのだろうか。

この温かい手のひらはこれからも変わることなく、私を包んでいてくれるのだろうか。

もし私がまたこの手を離しそうになったらその時は…
もう二度と、

「冬羽?」

急に黙り込んだ私の顔を心配そうに覗き込んまれて我に返る。

「ううん。何でもない。」

暁さんは何も言わずに微笑んで繋いでいる手の力を強めてまた前を向いた。

私もその手を何も言わずに握り返す。

空を見上げれば綺麗な星たちが今にも降ってきそうなほど近くて眩しかった。
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