恋忘れ
「ごめんな。出掛ける約束してたのに。夜しか一緒に過ごせなくて。」

クリスマスイブ当日を迎えた今朝、本当に申し訳なさそうに暁さんは私に謝った。

「ううん。仕方ないよ。年末年始で忙しいもんね。」

「うーん。だけどさぁ」

「仕事なんだから誰が悪いとかないって。暁さんが呼び出されるなんてよっぽどのことでしょ?」

暁さんは今いる部署の責任者だった。
休みの日に緊急で呼び出されるなんてよっぽど大変なのだろう。
それでも暁さんは納得がいかないという顔をして仕事の準備をしながら私を気にしていた。

「本当にごめん。なるべく、というか絶対早く帰ってくるから。」

「分かったから。ほら早く準備して。」

「怒ってる?」

「怒る?そんなわけないでしょ。夜ご飯の準備して待ってるね。」

「うわぁ、本気で行きたくないんだけど。」

行かなきゃだめ?というような目で私を見つめるからいつもは私の方が子どもみたいなのにと可笑しくて笑ってしまう。

「何笑ってんの。」

「ふふ、ごめん。暁さんが子どもみたいで、あはは」

「うるさいなぁ。俺だってこういう時あるんです。」

ちょっと怒った顔をするその姿が愛おしかった。

「そうなの?初めて見たかも。」

「そりゃあ普段はこんなことないし。じゃあ、行ってきます。」

「いってらっしゃい。」

私のくすくすという笑い声を背にして暁さんは出て行く。静かな音を立てて玄関の扉が閉まった。

リビングに戻るとこの前暁さんと二人で飾り付けをしたクリスマスツリーがすぐ目に飛び込んでくる。

今日は朝から雪が降りそうな天気で、もし降ったらホワイトクリスマスだねなんて話していた。
ふいに窓の外を見れば本当にそうなりそうな気配がもうし始めていた。
そんな外の景色を横目に少しだけ部屋の片づけを始める。

あとでクリスマスっぽく部屋の飾り付けもしてみようか。なんて思いながら花瓶の水を変えているとポケットの中のスマホが震えた。

誰からだろう。
開いた画面には''陽翔君''の文字があってショートメールが一通届いた。

「…え?」

一瞬訳が分からなくて手元の花瓶を落としそうになって慌ててぎゅっと手に力を込めた。

二年前、別れた日。連絡先だけは消せなかった。
それを見ないようにしていたツケが今になって来たんだと思った。

馬鹿だ私。やっぱりあの時消しておけば良かったんだ。

なんて自分の行動に後悔している間にスマホの画面が暗くなる。
私は、再びその画面をつけることはなくメールを開かなかった。

今更連絡してくるなんて、何かの間違いだよねきっと。
そう自分に言い聞かせるようにして私はスマホをテーブルの上に伏せた。

部屋の空気を入れ替えようと窓を開けると小さい雪の結晶が降り始めている。

暁さん帰り大丈夫かな。
私は彼のことだけを考えていればいい。
それだけでいい。

「つめた、」

少しだけ開いている窓からひらりと舞い込んできた雪が指先に触れて思わず声が出る。

すぐに溶けてしまった粉雪を見て積もらなければいいななんてそんなことを思った。

* * *

冷えた体をソファから起こした。
いつの間にか眠ってしまっていた私はその部屋の暗さに少し驚いて窓の外を見る。

「今何時…」

寝ぼけた目を擦って微睡んだ。
冬の午後はすぐに陽が落ちてしまうから時間の感覚がうまく掴めない。

スマホが電話の着信を鳴らしたのはその時だった。
とくに何も考えずに受話器を取ったのがいけなかったんだ。

「はーい、もしもし」

いつもならすぐに応えるはずの受話器の向こうからは静かすぎるくらい何も聞こえなかった。

「もしもし?間違い電話かな。」

相手への呼びかけと独り言が混ざって出てくる。
もう電話を切ってしまおうと耳元からスマホを離す直前だった。

「あ、の!」

どこかで聞いたことのある凛とした女性の声がする。

「わっ!はい?」

驚いて間抜けな答え方をしてしまって少し恥ずかしい。

「あの…冬羽さんですよね。」

「…どなたでしょうか。」

こんな人知り合いに私いたっけ?
一度記憶を失っているとこういう時にすごく不安になるものだ。

「すみません突然。私、陽翔の同僚なのですが。この前スーパーでお会いしたの覚えてますか?」

遠慮がちに、でも少し急いでいるような口調で電話口の女性は話し出した。

「あぁ。あの時の?でもどうして…」

状況がうまく理解できずに聞き返す。

「そうですよね。急に電話なんかして。でも、あの、昼間のメッセージ見てくれてませんか?陽翔の携帯から送ったんですけど。」

そこでやっとあのショートメールのことを思い出した。

「ごめんなさい。ちょっと忙しくて。」

「そうでしたか。」

私のついた嘘に彼女は気が付くことなく話を続ける。

「単刀直入に言うんですけど、今から陽翔の家に来れませんか?」

「は、え?どういうことですか。」

全く理解のできない話に口調がきつくなってしまったことを謝る暇もないまま次の言葉が発された。

「陽翔、倒れちゃって。熱も凄くて。今日用事があってたまたま家に行ったんですけど。それでその時に。」

相当焦っているのか、ただ起きた出来事を並べて話す彼女に落ち着いてと今度は優しく声をかけることが出来た。

「すみません。焦ってしまって。」

「いえそれは大丈夫です。でも何で私に?」

そうだ彼女の中で私はただの後輩のはずなのに。

「私これから職場に戻らなきゃいけないんです。冬羽さんだったら陽翔のこと昔から知ってると思って。」

「…いやでも。」

「お願いします。さすがにこの状態でひとりにするの怖くて。」

「陽翔君、えっと陽翔先輩ももう大人だし大丈夫じゃないですか?」

心にも思ってないことが口から出る。
分かっている。
陽翔君は昔から無理をするまで仕事をしてしまう癖があることを。
人一倍責任感が強くて結局ひとりで色々背負い込んでしまうのだ。

そしてその無理がたたって年末年始には必ず熱を出して寝込んでいた。
今思い出さなくてもいいことが次々頭に浮かんでくる。

「冬羽さんのこと、何度も呼ぶんです。うわごとで''冬羽''って。お願いします今日だけ、今日だけ側にいてあげてくれませんか。」

何それ
何で私の名前なんか。

中々次の言葉を発さない私に何か思ったのか彼女が続けた。

「冬羽さん、陽翔はあなたのこと」

それ以上聞いてはいけない気がして私はその先を遮った。

「分かった。分かりました。だからそれ以上言わないで…」

か細い私の声は何とか彼女に届いたようで受話器から分かりましたと無機質な声が返ってきた。

「陽翔の家は…分かりますよね?」

もう何もかもに気付いたような言い方で彼女はそう言った。

「わ、かります。」

「それなら良かったです。」

そう言葉を交わすと電話がぷつりと切れた。
彼女は陽翔君が好きなのだろうか。
そうでなきゃあんなに必死にお願いしてきたりしないだろう。
深いため息をついて私は出かける準備をした。

大丈夫、少し様子を見て平気そうだったらすぐに帰って来ればいいんだ。

陽翔君は寝てるだろうからきっと私に気付かない。

…気づかないでほしい。

そんな願いを胸にしまう。

暁さんは何時ごろ帰ってくるのだろうか。

一応報告しようと思ったけれと仕事の邪魔になっても悪いので今は言わないことにした。

外の雪はさっきよりも強く降り始めていた。
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