恋忘れ
外に出ると冷たい北風が私の体を通り過ぎて行く。
寒がりの私にはやっぱり辛い季節だ。
マンションから出て近くのバス停に並ぶと道行く人たちはみんな足早に歩いていて師走の忙しさを感じさせる。
悴んだ手をこすり合わせると、さっきコンビニで簡単に揃えた差し入れの袋ががさがさと音を立てた。
数分待つとやってきたバスの中に急いで乗り込むと冷えた体がゆっくりと温かさを感じていくのが分かった。
車内はまあまあ混んでいたけれど運良く窓際の席に座れてラッキーだなんて少し思う。
窓の外を何となく眺めていると、一度は忘れた景色でも意外と覚えてるもんなんだなあと感心する。
暁さんと過ごすようになってからあまり見ることがなかった懐かしい街が目に入っては通り過ぎて行った。
その中には昔あったお店が違うお店に変わったり、改装して綺麗になっていたりして時が経ったことを私に気付かせる。
バスで数十分揺られて目的地に着くといつもと違う空気に触れているみたいで変に緊張してしまう。
「懐かしいなぁ。」
バス停から歩いて五分。クリーム色の壁と少しオレンジががった屋根のあるアパートの目の前について深呼吸すした。
陽翔君と一緒に暮らしていた頃、古いポストの裏に何かあった時にと鍵を貼り付けていたことをふと思い出す。
私は玄関前のポストで立ち止まった。
あるわけないよね。
そう思いつつポストの裏にそっと触れてみる。
「あった…」
ざらついたその感触とは別のひんやりした感覚に手が触れてそれは確信に変わった。
そっとドアノブに鍵をさすと鍵が開いた音がして急に
懐かしい気持ちと何とも言えない気持ちがごちゃ混ぜになる。
それを打ち消すようにわざと何も考えないように部屋の中に入った。
前と何も変わっていない家具の配置や匂いにふたりで過ごした日々を思い出してしまう。
リビングの奥の方に小さい明かりが付けっぱなしになっているだけで薄暗い。
それなのにこの体はこの部屋に随分と慣れてしまっていて何がどこにあるのかは電気をつけなくても分かってしまう。
陽翔君はいなかった。
だけどいなくて良かったと思うのも事実だ。
さっさと冷蔵庫に食べ物をしまって薬を置いて帰ろう。
陽翔君の同僚の女性からは一緒にいてあげてと言われたけどやっぱりそんなこと今の私には出来ない。
この部屋にはあの頃の思い出が多すぎる。
早く帰らなければもう暁さんに会えない気がしてしまう程に。
きっと寝ているだろうからそのままそっと帰れば大丈夫。
「げほっ、誰…」
後ろから掠れた声が聞こえてきた。
何でこんなタイミングで、と驚いてすぐには声が出ずに私は背中を向けたまま固まった。
「沙希?帰って大丈夫だって言っただろ。」
あの人のことだよね、
私に連絡をしてきた女性は沙希さんというらしかった。
完全に勘違いしている。
どうしよう、なんて答えれば。
「なんだよ、何か言えって。」
私が中々答えないのに痺れを切らしたのか近づいてきて肩を掴まれた。
「や、あの」
俯きがちに振り返ると熱っぽい彼の目と視線が交わった。
「悪い、俺熱でおかしいのかもしんない。」
私の焦る気持ちとは裏腹に陽翔君はパッと手を離すともう片方の手で自分の頭を抱えた。
「え?」
「だって、冬羽が見える。いるはずもねえのに。ごめん俺寝るわ。」
私を沙希さんだと勘違いしたまま陽翔君は早口でそう言うとさっさと寝室に戻って行くようだった。
あまりにも突然すぎて一気に緊張が解けて肩の力が抜けた。
「良かった…」
私は静かな声で呟いて冷蔵庫の扉を閉めた。
これでいい。
このまま帰ろう。
そう思って寝室の前を通り過ぎようとした時だった。
中から陽翔君の咳き込む声が聞こえたのは。
昔から風邪を拗らせるとこうなるのを私は近くで何回か見てきたのですぐにあの辛そうな顔が浮かんで足を止めてしまう。
だめだと分かっているのにどうしても気になってなるべく音を立てないように寝室の扉を開けると、簡易的な毛布にくるまって眠っている辛そうな陽翔君の姿がすぐ目に入ってきた。
ほっとくことなんてできずに毛布に手を伸ばして優しくかけ直してあげるとさっきまでよりは眠りやすそうな顔をしていた。
だけど、これじゃあまだ寒いのではないかともう一枚毛布を持ってこようと立ち上がろうとして後ろから腕を引かれた。
「…冬羽。行かないで。」
驚いて息が止まりそうになった。
ゆっくりと振り返ると目は閉じていた。
どうやら寝言だったということはすぐに分かった。
なんだ、寝言か。
ドキドキと煩いくらいに鳴った心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思った。
それと同時に私の腕を握る手のひらがとても熱くて熱が相当高いのだと知る。
心配になり近づいて様子を見ようと顔を覗き込んだ。
「泣いてるの?」
常夜灯の下、思わず漏れた私の声にもちろん返事はない。
その代わりに陽翔君の目からただ涙の雫が流れるだけだった。
どうして泣いてるの?悲しい夢を見てるの?
そう聞きたくなる。
知りたい、と思ってしまう。
そっとその涙を拭うと穏やかになる呼吸に今握られているこの腕を離すことができなかった。
寒がりの私にはやっぱり辛い季節だ。
マンションから出て近くのバス停に並ぶと道行く人たちはみんな足早に歩いていて師走の忙しさを感じさせる。
悴んだ手をこすり合わせると、さっきコンビニで簡単に揃えた差し入れの袋ががさがさと音を立てた。
数分待つとやってきたバスの中に急いで乗り込むと冷えた体がゆっくりと温かさを感じていくのが分かった。
車内はまあまあ混んでいたけれど運良く窓際の席に座れてラッキーだなんて少し思う。
窓の外を何となく眺めていると、一度は忘れた景色でも意外と覚えてるもんなんだなあと感心する。
暁さんと過ごすようになってからあまり見ることがなかった懐かしい街が目に入っては通り過ぎて行った。
その中には昔あったお店が違うお店に変わったり、改装して綺麗になっていたりして時が経ったことを私に気付かせる。
バスで数十分揺られて目的地に着くといつもと違う空気に触れているみたいで変に緊張してしまう。
「懐かしいなぁ。」
バス停から歩いて五分。クリーム色の壁と少しオレンジががった屋根のあるアパートの目の前について深呼吸すした。
陽翔君と一緒に暮らしていた頃、古いポストの裏に何かあった時にと鍵を貼り付けていたことをふと思い出す。
私は玄関前のポストで立ち止まった。
あるわけないよね。
そう思いつつポストの裏にそっと触れてみる。
「あった…」
ざらついたその感触とは別のひんやりした感覚に手が触れてそれは確信に変わった。
そっとドアノブに鍵をさすと鍵が開いた音がして急に
懐かしい気持ちと何とも言えない気持ちがごちゃ混ぜになる。
それを打ち消すようにわざと何も考えないように部屋の中に入った。
前と何も変わっていない家具の配置や匂いにふたりで過ごした日々を思い出してしまう。
リビングの奥の方に小さい明かりが付けっぱなしになっているだけで薄暗い。
それなのにこの体はこの部屋に随分と慣れてしまっていて何がどこにあるのかは電気をつけなくても分かってしまう。
陽翔君はいなかった。
だけどいなくて良かったと思うのも事実だ。
さっさと冷蔵庫に食べ物をしまって薬を置いて帰ろう。
陽翔君の同僚の女性からは一緒にいてあげてと言われたけどやっぱりそんなこと今の私には出来ない。
この部屋にはあの頃の思い出が多すぎる。
早く帰らなければもう暁さんに会えない気がしてしまう程に。
きっと寝ているだろうからそのままそっと帰れば大丈夫。
「げほっ、誰…」
後ろから掠れた声が聞こえてきた。
何でこんなタイミングで、と驚いてすぐには声が出ずに私は背中を向けたまま固まった。
「沙希?帰って大丈夫だって言っただろ。」
あの人のことだよね、
私に連絡をしてきた女性は沙希さんというらしかった。
完全に勘違いしている。
どうしよう、なんて答えれば。
「なんだよ、何か言えって。」
私が中々答えないのに痺れを切らしたのか近づいてきて肩を掴まれた。
「や、あの」
俯きがちに振り返ると熱っぽい彼の目と視線が交わった。
「悪い、俺熱でおかしいのかもしんない。」
私の焦る気持ちとは裏腹に陽翔君はパッと手を離すともう片方の手で自分の頭を抱えた。
「え?」
「だって、冬羽が見える。いるはずもねえのに。ごめん俺寝るわ。」
私を沙希さんだと勘違いしたまま陽翔君は早口でそう言うとさっさと寝室に戻って行くようだった。
あまりにも突然すぎて一気に緊張が解けて肩の力が抜けた。
「良かった…」
私は静かな声で呟いて冷蔵庫の扉を閉めた。
これでいい。
このまま帰ろう。
そう思って寝室の前を通り過ぎようとした時だった。
中から陽翔君の咳き込む声が聞こえたのは。
昔から風邪を拗らせるとこうなるのを私は近くで何回か見てきたのですぐにあの辛そうな顔が浮かんで足を止めてしまう。
だめだと分かっているのにどうしても気になってなるべく音を立てないように寝室の扉を開けると、簡易的な毛布にくるまって眠っている辛そうな陽翔君の姿がすぐ目に入ってきた。
ほっとくことなんてできずに毛布に手を伸ばして優しくかけ直してあげるとさっきまでよりは眠りやすそうな顔をしていた。
だけど、これじゃあまだ寒いのではないかともう一枚毛布を持ってこようと立ち上がろうとして後ろから腕を引かれた。
「…冬羽。行かないで。」
驚いて息が止まりそうになった。
ゆっくりと振り返ると目は閉じていた。
どうやら寝言だったということはすぐに分かった。
なんだ、寝言か。
ドキドキと煩いくらいに鳴った心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと思った。
それと同時に私の腕を握る手のひらがとても熱くて熱が相当高いのだと知る。
心配になり近づいて様子を見ようと顔を覗き込んだ。
「泣いてるの?」
常夜灯の下、思わず漏れた私の声にもちろん返事はない。
その代わりに陽翔君の目からただ涙の雫が流れるだけだった。
どうして泣いてるの?悲しい夢を見てるの?
そう聞きたくなる。
知りたい、と思ってしまう。
そっとその涙を拭うと穏やかになる呼吸に今握られているこの腕を離すことができなかった。