虐げられ続けた私ですが、怜悧な御曹司と息子に溺愛されてます
向こうも岳を知っているのかと思ったときには、もう張り付けたようなアルカイックスマイルを浮かべていた。
「ご案内いたします」
その声も落ち着いたトーンで、うろたえた様子はない。もっとも、仲居として決められた通りの文言を口にしているだけだが。
彼女が先に立って客室に向かって歩き始めたので後に続いた。
さっきの表情はなんとも表現しにくい。知った顔だったから驚いたのか、岳とは会いたくなかったのか。
(ああ、彼女だ)
ふいに記憶が鮮やかによみがえってきた。あの夜の彼女だ。
(たしか名前は……そうだ、鶴田と言っていた)
思い出した名前は鶴田真矢。対鶴楼の経営者と同じ姓だ。
岳は以前とは別人のような着物姿に驚きながら、後ろ姿を無言で見つめた。
(少しやせたか?)
柔らかそうな頬に流れたひとすじの涙を妙に生々しく思い出す。
過ぎた日を思い出しながら、岳は彼女との再会に驚きを隠せなかった。
「岳さん、どうかされましたか」
小声で森川が尋ねてくる。
「いや、別に」
宿泊する以上、何度か顔を合わせることになるだろう。岳の素性を誰かに告げるだろうか。
真矢の存在がこの仕事に影響しなければいいがと、少し重い気分になりながら岳は部屋へ向かった。