虐げられ続けた私ですが、怜悧な御曹司と息子に溺愛されてます
東京に戻ると、また忙しい日々が始まった。
それでも岳は、ふとした瞬間に藤の香りに包まれた境内や古い町並み、蔵を改造したカフェで真矢と過ごした時間が思い出される。
(和服姿の真矢を、あのカフェの入口に立たせてみたい)
仲居より、ああいう上品な店のオーナーが似合いそうだなと勝手な想像をしてみる。
するとカーペットを敷きつめた廊下で、いつの間にか華怜がそばに立っていた。
これから社長室で父に会う予定だったが、華怜は用事を済ませて出てきたところだろう。
「いつになく機嫌がいいのね、お兄さん」
わざとらしく、華怜が話しかけてきた。
「いつもと同じだ」
「自覚がないんだ。目尻が下がっているわよ」
思わず窓ガラスに目を向ける。
そんな姿がおかしいのか、華怜がプッと吹き出した。
「向こうで、いったいなにを見つけたの」
「なにって」
「お父さんが言ってたじゃない、大切なものが手に入るかもしれないよって」
「ああ、あれか」
父が言った言葉など忘れていた。
岳にとって大切なものとは対鶴楼なのか、それとも真矢なのか。
まだ手に入ると決まったわけではないが、その両方を欲しても罪にはならないだろう。
あれから岳は、彼女がもし自分のそばにいたらと考えてしまうことがある。
前に声を出さずに泣いていた姿を見たせいか、もし真矢が岳のそばにいたら彼女を支えられるのにと思うほどだ。
(バカなことを考えるな)
大きな仕事を前に気を引き締めようとするが、強そうに見えてもろさも見え隠れする真矢が気がかりだった。
今日は父に、対鶴楼の買収計画を変更したいと申し入れるつもりだ。
とりあえず対鶴楼には買収する話を持ち掛けて、こちらの条件を飲ませる形で支援策に切り替える。
(反対されても、これだけは譲れない)
難しい局面だからこそ、父の前で気持ちの乱れを悟られるわけにはいかない。岳は私情を心の奥にねじ伏せた。