バリキャリ経理課長と元カレ画家、今さら結婚できますか?
第四話「再会」
翠想会の展示が終わった翌週。
仕事を終えた理沙は、作品を受け取るために再びデパートを訪れた。
ギャラリーでは、すでに新しい展示が始まっている。
そこに拓真の絵はなく、あのときの衝動的な決断が少し遠いものに感じられた。
受け取りカウンターへ向かい、購入した絵の引き渡しを依頼する。
店員が奥へ消え、理沙はぼんやりと展示スペースを眺めた。
——私は、どうしてこの絵を買ったんだろう?
考えたところで答えは出ない。
けれど、この絵が誰かのものになるのが嫌だった という気持ちだけは、今も変わらなかった。
「お待たせしました」
声に顔を上げると、店員の後ろに、梱包された作品を手にした拓真が立っていた。
「——!」
一瞬、時間が止まったような気がした。
「購入者の名前を見て、まさかと思ったけど……やっぱり君だったんだ」
「……」
「せっかくだから、直接渡したいと思って」
思いがけない再会に、頬が火照る感じがした。
けれど、悟られたくなくて、意識的に表情を変える。
「素敵な絵ね」
あえて淡々と言う。
「ありがとう。でも、理沙が僕の絵を買ってくれたことには驚いたよ。……もしかして、僕に会いたかった?」
拓真が、微かに笑いながら言った。
冗談めかしているのに、どこか探るような視線。
「いいえ」
理沙はすぐに否定した。
「あなたに会えるとは思ってなかった。ただ……目の前にあったこの絵を、誰かに取られたくなかったの」
その言葉を聞いた瞬間、拓真の目が少し揺れた。
——変わってないな。
彼が低く呟いたのが聞こえた。
「何が?」
「……なんでも」
拓真はごまかすように微笑んだ。
けれど、理沙の中には妙な引っかかりが残った。
「このあと時間ある? せっかくだし、お茶でもどう?」
「ええ、そうしましょう」
「せっかくだから」
——それは、どちらにとっての言い訳だったのだろう。
◇◇
二人は、デパートを出て、落ち着いたカフェへ向かった。
木製のドアを開けると、ほろ苦いコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
静かな空間。
適度な距離を保つ二人の間には、10年分の沈黙があった。
窓際の席に座り、コーヒーが運ばれてくる。
拓真がカップを手に取り、少しだけ苦笑した。
「……理沙が僕の絵を買ってくれたことには驚いたよ」
「そう? いい絵だったから」
理沙はカップを手に取り、自然に答えた。
「それだけ?」
「……それだけよ」
拓真は、ふっと小さく息を吐く。
「……昔もそうだった」
「え?」
「理性的に見えて、感情で動く」
理沙の指が、カップの取っ手をわずかに強く握った。
「……何それ」
「今もそうじゃないか」
拓真が、テーブルに置かれた梱包済みの絵を軽く指で示す。
「たぶん、絵を見て、衝動的に買ったんだろ。でも、君はそれを“いい絵だから”って言う。本当はそれだけじゃないのに」
「……それが何か問題?」
「別に。昔からそうだったなって思っただけ」
拓真は穏やかに微笑む。
だけど、その目はどこか探るような色を帯びていた。
「理沙は、冷静に考えてるように見えて、本当は心が先に動くんだ」
「……そんなことないわ」
否定したけれど、コーヒーを持つ手に少し力が入るのを自覚する。
「そっか」
拓真は、それ以上は何も言わず、カップに口をつけた。
理沙は静かに彼を見つめた。
—— この人は、昔から私のそういう部分をよく見抜いていた。
それが、なんだか悔しかった。
「経理の仕事、続けてるのか?」
拓真が話題を変えるように尋ねる。
「同じ会社で続けてる。2年前に課長になったの。忙しいけど、充実してるわ」
「それは、よかった。……君が経理の課長になってる姿なんて、昔は想像できなかったよ」
「そっちこそ、画家を続けてるのね」
「まぁね。やっと絵が売れるようになった。でも、まだまだ絵だけじゃ生活できない」
拓真は苦笑し、コーヒーを一口飲む。
その仕草を見ながら、理沙はふと10年前を思い出していた。
いつも、こんな風に苦笑しながら言い訳をしていた。
「理沙」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
「僕を……許してないよね?」
言葉を失う。
——許す、許さない?
そういう問題じゃないはずなのに。
「……許すも何も、あのときは、仕方なかったんだと思うわ」
そう言いながら、カップを持つ指に、わずかに力が入るのを自覚する。
「そうか」
拓真は視線を落とし、しばらく沈黙した。
「僕は、あの頃、自分が嫌いだった。結婚も、家庭を支えることもできない自分が情けなくて……」
「だから、別れるしかなかった?」
「……あのときは、そうするしかないと思ったんだ。でも——」
拓真が理沙を見つめる。
「こうしてまた会って、やっぱり、自分は間違ってたんじゃないかって思う」
理沙は静かに彼を見つめ返す。
彼の瞳には、10年前にはなかった迷いが浮かんでいた。
仕事を終えた理沙は、作品を受け取るために再びデパートを訪れた。
ギャラリーでは、すでに新しい展示が始まっている。
そこに拓真の絵はなく、あのときの衝動的な決断が少し遠いものに感じられた。
受け取りカウンターへ向かい、購入した絵の引き渡しを依頼する。
店員が奥へ消え、理沙はぼんやりと展示スペースを眺めた。
——私は、どうしてこの絵を買ったんだろう?
考えたところで答えは出ない。
けれど、この絵が誰かのものになるのが嫌だった という気持ちだけは、今も変わらなかった。
「お待たせしました」
声に顔を上げると、店員の後ろに、梱包された作品を手にした拓真が立っていた。
「——!」
一瞬、時間が止まったような気がした。
「購入者の名前を見て、まさかと思ったけど……やっぱり君だったんだ」
「……」
「せっかくだから、直接渡したいと思って」
思いがけない再会に、頬が火照る感じがした。
けれど、悟られたくなくて、意識的に表情を変える。
「素敵な絵ね」
あえて淡々と言う。
「ありがとう。でも、理沙が僕の絵を買ってくれたことには驚いたよ。……もしかして、僕に会いたかった?」
拓真が、微かに笑いながら言った。
冗談めかしているのに、どこか探るような視線。
「いいえ」
理沙はすぐに否定した。
「あなたに会えるとは思ってなかった。ただ……目の前にあったこの絵を、誰かに取られたくなかったの」
その言葉を聞いた瞬間、拓真の目が少し揺れた。
——変わってないな。
彼が低く呟いたのが聞こえた。
「何が?」
「……なんでも」
拓真はごまかすように微笑んだ。
けれど、理沙の中には妙な引っかかりが残った。
「このあと時間ある? せっかくだし、お茶でもどう?」
「ええ、そうしましょう」
「せっかくだから」
——それは、どちらにとっての言い訳だったのだろう。
◇◇
二人は、デパートを出て、落ち着いたカフェへ向かった。
木製のドアを開けると、ほろ苦いコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
静かな空間。
適度な距離を保つ二人の間には、10年分の沈黙があった。
窓際の席に座り、コーヒーが運ばれてくる。
拓真がカップを手に取り、少しだけ苦笑した。
「……理沙が僕の絵を買ってくれたことには驚いたよ」
「そう? いい絵だったから」
理沙はカップを手に取り、自然に答えた。
「それだけ?」
「……それだけよ」
拓真は、ふっと小さく息を吐く。
「……昔もそうだった」
「え?」
「理性的に見えて、感情で動く」
理沙の指が、カップの取っ手をわずかに強く握った。
「……何それ」
「今もそうじゃないか」
拓真が、テーブルに置かれた梱包済みの絵を軽く指で示す。
「たぶん、絵を見て、衝動的に買ったんだろ。でも、君はそれを“いい絵だから”って言う。本当はそれだけじゃないのに」
「……それが何か問題?」
「別に。昔からそうだったなって思っただけ」
拓真は穏やかに微笑む。
だけど、その目はどこか探るような色を帯びていた。
「理沙は、冷静に考えてるように見えて、本当は心が先に動くんだ」
「……そんなことないわ」
否定したけれど、コーヒーを持つ手に少し力が入るのを自覚する。
「そっか」
拓真は、それ以上は何も言わず、カップに口をつけた。
理沙は静かに彼を見つめた。
—— この人は、昔から私のそういう部分をよく見抜いていた。
それが、なんだか悔しかった。
「経理の仕事、続けてるのか?」
拓真が話題を変えるように尋ねる。
「同じ会社で続けてる。2年前に課長になったの。忙しいけど、充実してるわ」
「それは、よかった。……君が経理の課長になってる姿なんて、昔は想像できなかったよ」
「そっちこそ、画家を続けてるのね」
「まぁね。やっと絵が売れるようになった。でも、まだまだ絵だけじゃ生活できない」
拓真は苦笑し、コーヒーを一口飲む。
その仕草を見ながら、理沙はふと10年前を思い出していた。
いつも、こんな風に苦笑しながら言い訳をしていた。
「理沙」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
「僕を……許してないよね?」
言葉を失う。
——許す、許さない?
そういう問題じゃないはずなのに。
「……許すも何も、あのときは、仕方なかったんだと思うわ」
そう言いながら、カップを持つ指に、わずかに力が入るのを自覚する。
「そうか」
拓真は視線を落とし、しばらく沈黙した。
「僕は、あの頃、自分が嫌いだった。結婚も、家庭を支えることもできない自分が情けなくて……」
「だから、別れるしかなかった?」
「……あのときは、そうするしかないと思ったんだ。でも——」
拓真が理沙を見つめる。
「こうしてまた会って、やっぱり、自分は間違ってたんじゃないかって思う」
理沙は静かに彼を見つめ返す。
彼の瞳には、10年前にはなかった迷いが浮かんでいた。