バリキャリ経理課長と元カレ画家、今さら結婚できますか?
第五話「拓真のアトリエ」
理沙は、あの再会以来、毎週のように郊外にある拓真のアトリエを訪れていた。
今日も、アトリエのドアの前に立つ。ノックをし、ドアを開ける。
その瞬間、油絵の匂いが鼻をくすぐった。
壁にはスケッチや未完成の絵が掛けられ、中央には描きかけの絵が乗ったイーゼル。
床には使いかけのキャンバスや紙が無造作に転がり、隅の棚には何本もの絵筆が立てられている。
奥の壁には、淡い色彩で描かれたハイビスカスの絵が掛かっていた。
「相変わらず、花の絵を描き続けてるのね」
理沙は、制作途中の作品を眺めながら言った。
キャンバスには、大胆なナイフの筆致で描かれた花々が浮かび上がっている。
「生きている花は、本当に美しい。その美しさは、本来、絵には描けないものなんだ」
拓真が、静かに答える。
「だからこそ、花を描き続ける」
—— どれだけ描いても、完璧にはならない。だからこそ、描く。
彼のそんな信念と、静かな情熱が伝わってくる。
かつて理沙は、拓真の「画家として成功する夢」を不安定なものだと感じていた。
安定した仕事も、定期的な収入もない世界。
それなのに彼は、10年以上もその夢を追い続け、今もこうして筆を握り続けている。
—— 少しずつでも、彼は夢を実現しようとしている。
アトリエに並ぶ絵やスケッチを見つめるうちに、理沙の胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。
何とか彼の力になりたい。
感傷もあったかもしれない。それでも、本心からそう思った。
「拓真、個展は開かないの?」
「絵は売れ始めてる。でも……正直、個展で利益を出せる自信はない」
理沙はじっと彼を見つめ、少し語気を強めた。
「挑戦なしに成功なんてありえないわ」
「……」
拓真が一瞬、目を伏せる。
「私は、あなたのこと、応援したいの」
言葉に、少し力を込める。
拓真のためにできることがあるなら、したい——ただ、それだけなのに。
しかし、彼は苦い笑みを浮かべた。
「……結局、それって君が今、成功してるから言えることだよね?」
理沙の胸が、チクリと痛んだ。
「成功……?」
「そうだろう? 会社で管理職になって、安定した収入があって。挑戦しろって、そっち側にいるから言えることだよ」
「そっち側……」
「僕は、今もこうしてギリギリでやってる。そりゃ、絵は前より売れるようになったけど、それだけで食べていけるわけじゃない。まだバイトだってしてる」
理沙は息をのんだ。
「でも——」
拓真は、壁に掛けられた花の絵に視線を向ける。
「10年前の僕は、何も持ってなかった。お金も、安定した仕事も、何も。だから、君と一緒にいる資格なんてないって思った」
理沙は思わず口を開きかけたが、拓真がゆっくり首を振る。
「もし今、僕が君に助けられるようになったら、僕は今度は『支えられている自分』に耐えられなくなる気がするんだ」
——支えられることは、負けじゃないのに。
そう思ったけれど、言葉にはしなかった。
それを今、言ったところで、拓真は聞き入れないとわかっていたから。
「……そっか」
理沙は、それだけ呟いた。
部屋の中に、油絵の香りと静寂が満ちていた。
今日も、アトリエのドアの前に立つ。ノックをし、ドアを開ける。
その瞬間、油絵の匂いが鼻をくすぐった。
壁にはスケッチや未完成の絵が掛けられ、中央には描きかけの絵が乗ったイーゼル。
床には使いかけのキャンバスや紙が無造作に転がり、隅の棚には何本もの絵筆が立てられている。
奥の壁には、淡い色彩で描かれたハイビスカスの絵が掛かっていた。
「相変わらず、花の絵を描き続けてるのね」
理沙は、制作途中の作品を眺めながら言った。
キャンバスには、大胆なナイフの筆致で描かれた花々が浮かび上がっている。
「生きている花は、本当に美しい。その美しさは、本来、絵には描けないものなんだ」
拓真が、静かに答える。
「だからこそ、花を描き続ける」
—— どれだけ描いても、完璧にはならない。だからこそ、描く。
彼のそんな信念と、静かな情熱が伝わってくる。
かつて理沙は、拓真の「画家として成功する夢」を不安定なものだと感じていた。
安定した仕事も、定期的な収入もない世界。
それなのに彼は、10年以上もその夢を追い続け、今もこうして筆を握り続けている。
—— 少しずつでも、彼は夢を実現しようとしている。
アトリエに並ぶ絵やスケッチを見つめるうちに、理沙の胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。
何とか彼の力になりたい。
感傷もあったかもしれない。それでも、本心からそう思った。
「拓真、個展は開かないの?」
「絵は売れ始めてる。でも……正直、個展で利益を出せる自信はない」
理沙はじっと彼を見つめ、少し語気を強めた。
「挑戦なしに成功なんてありえないわ」
「……」
拓真が一瞬、目を伏せる。
「私は、あなたのこと、応援したいの」
言葉に、少し力を込める。
拓真のためにできることがあるなら、したい——ただ、それだけなのに。
しかし、彼は苦い笑みを浮かべた。
「……結局、それって君が今、成功してるから言えることだよね?」
理沙の胸が、チクリと痛んだ。
「成功……?」
「そうだろう? 会社で管理職になって、安定した収入があって。挑戦しろって、そっち側にいるから言えることだよ」
「そっち側……」
「僕は、今もこうしてギリギリでやってる。そりゃ、絵は前より売れるようになったけど、それだけで食べていけるわけじゃない。まだバイトだってしてる」
理沙は息をのんだ。
「でも——」
拓真は、壁に掛けられた花の絵に視線を向ける。
「10年前の僕は、何も持ってなかった。お金も、安定した仕事も、何も。だから、君と一緒にいる資格なんてないって思った」
理沙は思わず口を開きかけたが、拓真がゆっくり首を振る。
「もし今、僕が君に助けられるようになったら、僕は今度は『支えられている自分』に耐えられなくなる気がするんだ」
——支えられることは、負けじゃないのに。
そう思ったけれど、言葉にはしなかった。
それを今、言ったところで、拓真は聞き入れないとわかっていたから。
「……そっか」
理沙は、それだけ呟いた。
部屋の中に、油絵の香りと静寂が満ちていた。