最後の旋律を君に
律歌は病室の前で、そっと深呼吸をした。

心臓が高鳴るのは、奏希くんに会えることへの期待か、それとも、これから伝える報告への緊張か。

 ドアをノックすると、すぐに中から「どうぞ」という優しい声が返ってきた。

 「お邪魔します……」

 扉を開けると、ベッドに座る奏希くんの姿が目に入った。昨日よりも顔色が良さそうで、ほっと胸を撫で下ろす。

 「律歌」

 彼は微笑みながら手を軽く振った。その仕草がどこか儚げで、けれど変わらず優しくて、胸がぎゅっと締め付けられる。

 「どうしたの? なんか嬉しそうな顔してる」

 「うん……奏希くんに、いい報告があるんだ」

 「いい報告?」

 律歌は一歩近づき、奏希くんの目をまっすぐ見つめながら言った。

 「病院に……グランドピアノを置いてもらえることになったの!」

 一瞬、奏希くんの表情が固まる。

 「……え?」

 驚きと戸惑いが入り混じった瞳で律歌を見つめる彼。その反応があまりに純粋で、律歌はくすりと微笑んだ。

 「先生に相談して、病院の方でも話し合ってもらってね。リハビリ室にグランドピアノを置くことが決まったの。もうすぐ搬入されるって!」

 奏希くんはしばらく言葉を発さず、何かを噛みしめるように目を伏せた。それから、ゆっくりと顔を上げる。

 「……律歌が?」

 「うん。奏希くんに、また思いっきりピアノを弾いてほしくて。もちろん無理のない範囲でね。
  でも、電子ピアノじゃなくて、本物のグランドピアノで奏希くんの演奏が聴けるって思うと……私、すごく嬉しくて……!」

 奏希くんは小さく息を呑み、信じられないというように目を瞬かせた。

 「そんなことまで……律歌が……僕のために……」

 彼の声がわずかに震えているのに気づき、律歌はそっと奏希くんの手を握った。

 「奏希くんがいたから、私もまたピアノを弾けるようになったんだよ。今度は、私が奏希くんのために何かしたかったの」

 奏希くんの指が、ぎゅっと律歌の手を握り返す。

 「ありがとう……律歌……」

 その言葉には、心の底からの感謝が込められていた。

 「ピアノが来たら、また二人で連弾しようね」

 律歌がそう言うと、奏希くんは静かに微笑んだ。

 「うん……ぜひ、弾きたい」

 その表情には、以前のような生き生きとした輝きが戻っていた。

 このピアノが、奏希くんの心を少しでも救ってくれるように——。

 律歌は彼の手の温もりを感じながら、そっと願った。
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