無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
翌朝。克樹さんは、早く帰ってくるからと心の中で言い残して家を出た。
私は少し悩んで夕食に寄せ鍋を用意することにした。
四月に鍋ってあまり食べないけれど、今日は寒いから美味しく頂けるはず。
それに克樹さんが帰ってこなくて一人夕食になったとしても調整できるから。
彼は私を心配して早く帰って来るつもりはあるようだけれど、これまでの一年間を思い出すと信じることができない。
病院に行ったら気が変わるかもしれない。それにプライベートでの付き合いだってあるだろう。
私は彼の交友関係をほとんど知らないから、行動パターンを予測できない。だからと言って放っておくことはできない。
だってうなぎ定食や洋食屋でのテイクアウトなど、いろいろ気を遣って貰っているのに、私だけ何もしない訳にはいかないでしょう。決して優しくされてほだされた訳じゃない。同居人として当然の気遣いだ。
けれど午後八時になっても、克樹さんは帰ってこなかった。
「やっぱりね」
私はそう呟くと座っていたソファから腰を上げて、寄せ鍋の準備を始めた。
材料は用意してあるから、後は煮込むだけ。一人用の土鍋を出して野菜と鶏肉を入れて火にかける。
この一人用の土鍋は今年の初売りで安くなっていたのを買ったものだ。
考えてみるとこの頃から私は鍋はひとりで食べるものだと思っていた。年末年始もほとんどひとりで過ごして、当然初売りもひとりで行ったし。
なんて孤独だったんだろう。
虚しさがこみ上げたところで、鍋からは出汁のいい匂いが漂ってきた。
まあ一人鍋だって十分美味しいからね。サワーでも飲みながらのんびり過ごそう。
早く出来上がらないかなあと火の通りを確認していると、突然家の電話が鳴ったものだから私は驚きびくりと肩を震わせた。
固定電話は置いてあるけれど個人的な連絡は携帯の方にしているので普段はあまり鳴ることがないのだ。とくに八時過ぎに連絡が来るなんて初めてかも……。
なんとなく警戒しながら鳴り続けている電話に出る。
「羽菜、俺だ」
落ち着いた低い声が耳に届いた。でもいつもと少し違うのは電話越しだからだろうか。
そう言えば克樹さんと電話で話したことって有ったかな?
さすがに有るはずだが、最後にいつ電話をしたのか思い出せない。それほどレアな出来事だ。
「羽菜、聞こえてるか?」
克樹さんの声が少し硬くなった。私は慌てて返事をする。
「聞こえてる」
最近は彼と話しているときに考えこむようなことが多いから、つい反応が鈍くなってしまう。気を付けないと。
「家の電話だったから誰かと思って」
「携帯にかけたが繋がらなかった」
「あ、ごめん。どこかに放置したままだ」
さっきソファでのんびりしているときはスマホを見ていたから、その辺に置き去りになっているだろう。
「そうか」
「うん」
その後沈黙。電話だと心の声が聞こえないので、克樹さんの態度がすごく素っ気なく感じる。
少し前の私だったら、私との会話はそんなにつまらないのかと落胆し、悲観的な気持ちになっていたと思う。
でも今は、克樹さんは言葉にしないだけで心の中であれこれ考えている人だと知っている。
淡々とした言葉の裏で、私の反応を気にしているかもしれない。携帯電話の方に出なかったからといって固定電話までかけてくるのはおそらく心配だったから。そんなふうに都合よく受け取るおかげで心が穏やかでいられた。
「今日は帰宅できなくなった」
「仕事が忙しいの?」
「救命から呼ばれて緊急オペだ」
「そうなんだ……」
そんな忙しいときに私に連絡をしていいのだろうか。
「明日の昼すぎに一時帰宅する予定だ」
「……分かった。オペ頑張ってね」
「ああ」
相槌の直後に電話が切れた。
私は耳から外した受話器をじっと見つめる。
まるで業務連絡のような会話だったけれど、克樹さんが自分のスケジュールの連絡をしてきたのは初めてだ。
忙しいのか聞いたら、ためらいなくオペだと具体的な内容を教えてくれた。
これまで私はあまり詮索するようなことを言ってはいけないと、やけに遠慮をしていて克樹さんが帰宅しなくても直接問いただしたことはなかった。
物分かりがいい妻であろうとしたというのもあるけれど、初夜で放置されてフォローもなかったのが自覚しているよりも心の傷になっていて、踏み込むことを躊躇っていたのかもしれない。
克樹さんの態度でまた傷つくのが嫌で、防御線を張っていた。
私たち夫婦が一年かかっても何の絆も作ることができなかったのは、克樹さんのせいだけじゃないのかな。
私も無意識に彼を避けていたのかも。
だって今克樹さんは連絡をしてきてくれたし、私の質問にも答えてくれたし……。
そんな殊勝な気持ちに陥りかけたが、はっと我に返った。
いやいや、なんで私は早くも絆されそうになっているの。揺らがず離婚するって決心したばかりじゃない
克樹さんが帰ってこないのは確定したのだから、もう余計なことは考えない。
さっさと夕ご飯を食べて寝てしまおう。
その日私は早々にベッドに入ったのだった。