無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!

「昨日は帰宅しなくて悪かった」

 翌日の午後一時。帰宅した克樹さんは私と顔を合わせるなりそう言った。
 深夜のオペだったからぐったりして帰宅するだろうと思っていたのに、疲れが全く見えないいつも通りの姿で拍子抜けをした。

「お帰りなさい」
「昨夜は問題なかったか?」
「うん、とくには」
「そうか」
 ――よかった。

「……早く寝ちゃったから」
「そうか」
 ――退院したばかりなのにひとりにしてしまって申し訳なかったな。

 ほんの少しだけ表情を暗くした克之さんが、心の中で言う。居たたまれなくなった私は彼に背中を向けた。
 本当にそんなに心配してくれているならら言葉にしてくれたらいいのに。心の中で訴えられても私はどんな態度を取ればいいか分からなくて困るんだから。

「克樹さん、お昼はまだでしょ?」

 私はキッチンに向かいながら、なぜか後ろをついてくる彼に問いかける。

「ああ」
「食べて行く時間があるなら簡単なものをつくるけど」
「……頼む」

 今の間ってなんだろう。もしかして食べたくなかった?
 気になって振り向いたけれど、克樹さんは自室に入ってしまったので分からずじまい。
 しっかり顔を見て話しておけばよかったな。

 釈然としないままキッチンに入り、親子丼と野菜たっぷりのお味噌汁をつくり始める。
 下準備はしてあるのですぐに出来上がる。
 克樹さんが戻って来るまでに大方完成していてテーブルに並べることができたが、彼は親子丼を見ると少し驚いたようだった。

「簡単なものじゃなかったのか?」
「多すぎるなら取り分けておいて」

 やっぱりあまり食慾がないのかな。まあ余ったら私が夜にでも食べればいいか。
 テーブルに着いて食事を始めると、克樹さんは黙々と箸を運んでいる。あれ、食慾がない訳ではなかったのかな?
 野菜味噌汁もしっかり飲んだ彼は、箸を置くとぽつりと言った。

「羽菜は料理が上手いんだな」
「え?」
「親子丼も味噌汁もとても美味しかった」
「えっ……そ、そうなの?……それはよかった」

 かなりまごまごした反応になってしまった。だって急に料理を褒めてくるんだもの。

 それもしみじみと感じ入るような空気を醸し出して。心の声が聞こえてこなかったということは他に意図することがない発言なのだろう。

 私の料理が美味しかったって……じわりと喜びが広がっていく。ちょっと褒められたくらいで舞い上がるなんて我ながらちょろいと思う。でも今まで彼に褒められたことなんてなかったからか平然と流せないのだ。

「親子丼が簡単な料理だとは知らなかった」

 今日の克樹さんは心の声があまり聞こえない。それだけ本音で向かってくれているということだろうか。

「簡単だよ。使う材料も少ないし……克樹さんは料理しないの?」

 家で作っているところは見たことがない。でも独り暮らしをしていたはずだから自炊くらいしているような気もするけど。

「あまり経験がないな。外食で済ませることが多かった」
「まあいつも仕事が忙しいから自炊は難しいよね」

 ずーっと家に帰ってこられないくらい。そんな私の恨み言が伝わったのか、克樹さんが気まずそうな表情になった。

「実は明日から一週間、不在がちになる」
「そうなんだ」

 いつものことだから、これといって驚きはしない。でも克樹さんの心の声はものすごく罪悪感を抱いているようなものだった。

 ――こんなときだから早く帰りたいが、オペの予定が詰まっている。準備や術後管理もあるから羽菜が起きている間には帰ってこられないな。
 ――食慾はあるようだがまだ家事が負担になるだろうから、家事代行サービスを頼んだ方がよさそうだ。だが以前羽菜はそういったサービスは必要ないと言っていた。自宅に他人が入るのが嫌なのかもしれない。

 克樹さんは食後のお茶を飲みなが延々とひとり思考を繰り広げている。
 私のことを心配してくれているのは分かるんだけど……顔が怖い!

 考えに集中しているからか、真顔で目が合ってもにこりともしない。他者を寄せ付けない冷ややかな空気を発しているし。
 自分の世界に入り込んでいるとこんなふうになるのかな。

 病院ではエリート脳外科医と言われているけれど、本当に患者さんとコミュニケーションが取れているのかますます心配になってくる。
 自分が病気になったとき、私は優しい先生に診てもらいたいと思う。弱っているからこそ気持ちに寄り添って欲しい。
 たしかにオペは一番技術がある先生にしてもらいたいけれど、今のような克樹さんには不安な気持ちを訴えられないし、質問だってし辛そうだもの……。

 せっかく優秀なのに無愛想ってことで評価を落としていそうで不安になる。
 なんとかならないのかな……。

 病院での彼の様子を想像していたせいか、気付けば私まで自分の世界に入っていた。
 傍から見たら無言の食卓で、冷え切った空気が漂っているように見えたのではないだろうか。
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