無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
第三章 誰かを愛することはないと思っていたのに 克樹side
「四十代男性。建設現場で作業中に足場から転落して頭部を強打したとのことです」
報告を受けながらぐったりした患者の頭部を確認する。
「頭蓋骨陥没骨折、深さは二センチ。急性硬膜外血腫を合併し脳圧が強い。オペの準備を」
俺が指示を出すと研修医と看護師が慌ただしく動きだす。皆一刻を争う状況だと理解しているからだ。
開頭して血種を取り除かないと、患者は命が助かっても重篤な後遺症を抱えることになる。脳はそれだけ繊細だ。
けれど患者は後を絶たず毎日のように運ばれてくる。ひとりでも多くの人を助けられるよう努めるのが俺の務めだと思っている。
緊急オペを終えて渡り廊下を歩いていると忙しない足音が近づいてきた。騒々しいなと眉をひそめたところで高い女性の声が耳に届く。
「克樹!」
足を止めて振り返ったのと同時に、勢いよく腕にしがみついてきたのは、予想通り内科医の日(ひ)高(だか)美(み)聖(さと)だった。
「ちょっと歩くの早すぎない?」
彼女が俺を見上げて、責めるように言うが、声はどこか甘えたようなものだ。
彼女の父親は隣県にある加賀谷総合病院付属クリニックの院長で医師会の理事も務めていることから、加賀谷家とも家族ぐるみの付き合いがある。
美聖に初めて会ったのは、もう二十年も前のことだ。だからか彼女は俺に遠慮がなく、同僚になってからも名前を呼び捨てにし、必要以上に近づいてくる。
そんな態度に辟易して同僚として接するようにと注意したが、美聖は少しも悪びれなかった。
一時期海外に留学していた影響で、無意識にスキンシップをしてしまうから仕方がないと言い、父と義兄を味方につけて俺の頭が固いのだと逆に責めてきた。
実際彼女は誰に対しても距離が近いから悪気が有るわけではなく、ただ俺と感覚が違うだけなのだろう。価値観の違いだ。
とはいえ、やはり距離が近すぎる。
「……ねえ、聞いてる?」
美聖が話しているのに違うことを考え聞きそびれてしまった。
「すまない。もう一度言ってくれ」
すっと体を引き、彼女と距離を置きながら言う。
「ええ? ぼんやりするなんて克樹らしくないじゃない」
美聖が怪訝な顔をしたのと同時に、もう一つの声が割り込んできた。
「克樹、美聖、廊下の真ん中で何をしているんだ?」
柔和な笑みを浮かべて近づいてくるのは、内科部長の加賀谷克(まさ)人(と)。俺の母親違いの兄でもある。
彼は俺たち前で立ち止まると美聖に優しい目を向けた。美聖がうれしそうに微笑む。
「克樹を見かけたから声をかけたんだけど、ぼんやりしていて全然話を聞いてくれないの。無愛想だし嫌になっちゃう」
美聖が義兄に不満を訴える。
それなら初めから話しかけなければいい。そう思ったが何を言っても義兄は美聖を庇い俺を責めるだろうから主張するだけ無駄になる。
思った通り、義兄は俺に呆れたような目を向けてきた。
「克樹。前から言ってるがもう少し愛想をよくしろ。医者はオペだけをしていればいいってものじゃない。サービス精神が必要だと思わないか?」
その言葉に胸の奥が騒めいた。
言われなくても分かっている。
人々の為の医療――それは尊敬する医師がいつも口にしていた言葉。
俺が医師として目指す姿なのだから。
加賀谷総合病院は今から約五十年前に祖父が開業した。
当時は加賀谷医院という名称で診療科目は内科と小児科のみ。医師は祖父を合わせてふたりの小さな医院だったが、近所の人たちのかかりつけ医として頼りにされ日々精力的に働いていたそうだ。
大らかな性格の祖父だが診察は丁寧でそれでいて気さくだったから患者から好かれてたしかな信頼な関係を築いていった。