無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
 俺が物心つく頃には父や他の若い医師も働く町内で一番大きな病院になっていたが、父ではなく祖父を慕い付いて回る俺を見た近所の人たちが祖父の若い頃の活躍を聞かせてくれたのだ。
 そのような環境で育った影響か、自然と医師を目指すようになっていた。
 いつか自分も祖父のような立派な医者になりたいと。生まれて初めてできた目標だった。
 不仲な両親が頻繁に諍いを起こす冷たい家庭で育った俺は、祖父の周囲の温かな人との繋がりに憧れ渇望する気持ちもあったのかもしれない。

『僕もじいちゃんみたいな医者になるんだ!』

 得意げに宣言した日のことを今でも鮮明に覚えている。
 祖父がうれしそうに目を細めて、優しく頭を撫でてくれた。

『そうか……克樹ならできる。頑張りなさい』
『うん、頑張るよ! それで今よりもっと大きな病院にしてたくさんの病気の人を助けるんだ。それでじいちゃんみたいに近所の人たちと……』
『張り切るのはいいが、お前はまずそのおしゃべりをなんとかしないといけないな』
『えー、おしゃべりじゃないよ』
『そうか』

 祖父は優しく微笑んだ。
 それからは嫌いだった勉強も頑張るようになった。大人になった自分が祖父の病院で医者として働く姿を夢に見て。
 ところが祖父は俺が中学に入学してすぐに体調を崩してしまい、医者の仕事を引退した。
 そのころには病院の規模が更に拡大していたこともあり、祖父が引退し父が跡を継ぎ院長になったのをきっかけに加賀谷総合病院と名称を変更した。

 病院の雰囲気が明らかに変わったのはその頃からだったと思う。
 父は祖父とは全く違うタイプの医師だった。知識や技術的な問題ではなくて、その考え方がまるで違う。
 人々の為の医療と口にしていた祖父に対して、父は病院運営はビジネスだとはっきり言った。
 どちらも間違ってはいないのだろうが、俺の目には父の言動は合理的で酷く冷たくみえたものだった。

 院長となった父は急速に経営改善を行っていった。その方面の才能が有ったのか、加賀谷総合病院は地域で一番大きな病院という立場から県内で有数の大病院へと成長し、父は常に多忙そうにしながらも上機嫌の様子に見えた。
 両親の不仲が決定的になったのはその頃だった。
 離婚が決まり母は家を出て行った。俺を連れて行くことはできないと、はっきり言われたため両親のどちらに付いて行くか迷う必要はなかった。母親の態度は冷酷だと感じたが、元々親子の情が希薄な家族で、親の愛情はとっくに諦めていたからそれほどショックは受けなかった。
 常にヒステリックだった母が出ていくと、家は怖いほど静かになった。父は帰宅しなかったが、通いの家政婦が食事の準備などをしてくれていたから、生活に不自由するようなことはなかった。
 部活動が盛んな学校ではなかったが興味があったバスケ部に入部し、緩い活動をする一方で、将来の医大受験のための勉強をする毎日が淡々と過ぎて行く。

 ハードな受験勉強による小さなストレスは溜まっていたが、そんなときは祖父の見舞いに行き話を聞いて貰うときは心が凪いだ。
 しかし平和な時間は、母が出て行って二か月になるという頃に終わりを迎えた。
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