無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
父は連れ子の態度になんの違和感もないようで、当然のように返事をした。
その声は実の子である俺に対するものより柔らかく慈しみを感じるものだった。
この一瞬で、俺は違和感と疑問を持った。
父の家族に俺は入るのだろうかと。
そう思うくらい血が繋がっていないはずの三人の間には、ごく親しい絆のようなものを感じたのだ。
その疑問は一年以上続いたが、ある日違和感の理由が判明した。
連れ子の克人は、父の実の子供だったのだ。
継母の明美は父が結婚する前からの付き合いだったらしい。
父は資産家の娘だった母と見合い結婚をしたが、継母との付き合いも辞めずに義兄が生まれたのだと義兄本人が自慢気に暴露したため分かった事実だった。
衝撃的なカミングアウトだったが、すとんと納得した。
義兄の名前は“まさと”と読むが漢字は克人と書く、克樹と同じ漢字だが珍しい読み方をするなと思ったくらいで初めは大して気にしていなかった。
しかし義兄の生まれを知って気が付いた。父はあえて同じ漢字を使ったのだ。
というのも加賀谷家では男子が生まれると克の字を入れる習わしがあり、祖父も父も名前に克の字が入っているのだ。
おそらく父は義兄が生まれたとき、正式に息子とは言えないけれど、加賀谷家の男子として克の字をつけたかったのだと思う。
克樹の母と父がずっと不仲だったのは、継母と義兄、ふたりの存在が有ったからかもしれない。母はきっとずっと父のもう一つの家族について悩んでいたのだろう。
ヒステリックな性格の母が好きではなかったけれど、そうなるだけの理由が有ったのだと納得した。きっと母も苦しんだのだろう。
込み上げるものがありぎゅっと手を握りしめたそのとき、義兄の得意気な声が聞こえてくる。
『だから勘違いするなよ。この家の跡継ぎは俺でお前じゃないんだよ。これからは立場をわきまえろよ』
同居を始めてすぐのころはまだ比較的柔らかい態度だった義兄だが、一年の間に俺に対する敵対心を隠さなくなった。
何かにつけて攻撃してくる。それは理不尽なことがほとんどで、俺はその都度反論していたが、父と継母はいつだって義兄の味方をして俺を厳しく叱責した。
悔しかったが三人から攻撃されては、どうしても劣勢になる。
理不尽に対する怒りと、味方がいない辛さで日に日に絶望的な気持ちになっていった。
以前は多忙だからといつも不在だった父は、継母と再婚してからは早く帰宅するようになり、食事は四人で取ることが多かった。その時も会話は三人で誰も俺に話を振ろうとはしなかった。
俺が発言しても、面倒そうな顔をされるか否定される。
そんなことを繰り返す内に、次第に口を利くのが憂鬱になっていった。無言でいる方が争いがなく楽なのだ。
望んで入学した医大付属中学にも、兄が編入して来てからは気が休まる場所ではなくなっていた。
俺が笑えることができるのは祖父の病室くらいになっていた。
病気の祖父に家庭での悩みを打ち明けることはできなかったが、問題があるのを察していたようで何度か父と言い争いをしているところを見たことがある。
俺を庇って父に意見をしてくれていたのだ。
しかし唯一の味方だった祖父も父が再婚した二年後には亡くなってしまった。
最後の言葉は一生忘れられない。
『克樹。今は辛いことが多いだろうが、お前ならきっと乗り越えて医者になれる。必ず報われる日がくるから諦めずに頑張るんだよ』
『うん……大丈夫。絶対に医者になってじいちゃんの病院で働くよ』
『約束だ』
悲しい別れの後、完全に孤立した俺は何にも期待することはなくなり、ただ医者になることだけど支えに、日々を淡々と生きていた。
楽しみなどなかった分勉強が捗り、義兄よりもレベルが高い国内最高偏差値の医大に合格。その後前期と後期の研修医期間を大学病院で過ごしてから、脳外科医として加賀谷総合病院に着任した。
病院には既に義兄が内科医として勤務しており何かと邪魔をしてきたが、その頃の俺は子供時代と違って脳外科医としてそれなりの実績を築いていた。たとえ義兄でも昔のように俺が気に入らないからと排除することは出来ない。
職場とはいえ義兄と接点を持つのは不本意だったが、俺にとっては祖父との約束を守る方が大切だから兄の嫌みには耳を貸さないようにしていた。
だがそんな態度が原因で、院内では温厚な兄と冷たい弟というイメージが定着している。
父は俺が加賀谷総合病院に着任する前に院長を退いた。と言っても医師会の理事会の地位に就き今でも経営権を手放してはいない。
しかし現院長の木(き)崎(ざき)医師は昔から加賀谷総合病院で勤務するベテランで、俺も幼い頃は可愛がってもらっていた。
義兄は木崎院長と合わないようで愚痴を零していたが、俺は木崎院長になってよかったと思っていた。祖父の精神を継ぎ患者にとってよい病院になるようにと力を尽くしてくれる。院内で数少ない信頼できる人物だ。
その声は実の子である俺に対するものより柔らかく慈しみを感じるものだった。
この一瞬で、俺は違和感と疑問を持った。
父の家族に俺は入るのだろうかと。
そう思うくらい血が繋がっていないはずの三人の間には、ごく親しい絆のようなものを感じたのだ。
その疑問は一年以上続いたが、ある日違和感の理由が判明した。
連れ子の克人は、父の実の子供だったのだ。
継母の明美は父が結婚する前からの付き合いだったらしい。
父は資産家の娘だった母と見合い結婚をしたが、継母との付き合いも辞めずに義兄が生まれたのだと義兄本人が自慢気に暴露したため分かった事実だった。
衝撃的なカミングアウトだったが、すとんと納得した。
義兄の名前は“まさと”と読むが漢字は克人と書く、克樹と同じ漢字だが珍しい読み方をするなと思ったくらいで初めは大して気にしていなかった。
しかし義兄の生まれを知って気が付いた。父はあえて同じ漢字を使ったのだ。
というのも加賀谷家では男子が生まれると克の字を入れる習わしがあり、祖父も父も名前に克の字が入っているのだ。
おそらく父は義兄が生まれたとき、正式に息子とは言えないけれど、加賀谷家の男子として克の字をつけたかったのだと思う。
克樹の母と父がずっと不仲だったのは、継母と義兄、ふたりの存在が有ったからかもしれない。母はきっとずっと父のもう一つの家族について悩んでいたのだろう。
ヒステリックな性格の母が好きではなかったけれど、そうなるだけの理由が有ったのだと納得した。きっと母も苦しんだのだろう。
込み上げるものがありぎゅっと手を握りしめたそのとき、義兄の得意気な声が聞こえてくる。
『だから勘違いするなよ。この家の跡継ぎは俺でお前じゃないんだよ。これからは立場をわきまえろよ』
同居を始めてすぐのころはまだ比較的柔らかい態度だった義兄だが、一年の間に俺に対する敵対心を隠さなくなった。
何かにつけて攻撃してくる。それは理不尽なことがほとんどで、俺はその都度反論していたが、父と継母はいつだって義兄の味方をして俺を厳しく叱責した。
悔しかったが三人から攻撃されては、どうしても劣勢になる。
理不尽に対する怒りと、味方がいない辛さで日に日に絶望的な気持ちになっていった。
以前は多忙だからといつも不在だった父は、継母と再婚してからは早く帰宅するようになり、食事は四人で取ることが多かった。その時も会話は三人で誰も俺に話を振ろうとはしなかった。
俺が発言しても、面倒そうな顔をされるか否定される。
そんなことを繰り返す内に、次第に口を利くのが憂鬱になっていった。無言でいる方が争いがなく楽なのだ。
望んで入学した医大付属中学にも、兄が編入して来てからは気が休まる場所ではなくなっていた。
俺が笑えることができるのは祖父の病室くらいになっていた。
病気の祖父に家庭での悩みを打ち明けることはできなかったが、問題があるのを察していたようで何度か父と言い争いをしているところを見たことがある。
俺を庇って父に意見をしてくれていたのだ。
しかし唯一の味方だった祖父も父が再婚した二年後には亡くなってしまった。
最後の言葉は一生忘れられない。
『克樹。今は辛いことが多いだろうが、お前ならきっと乗り越えて医者になれる。必ず報われる日がくるから諦めずに頑張るんだよ』
『うん……大丈夫。絶対に医者になってじいちゃんの病院で働くよ』
『約束だ』
悲しい別れの後、完全に孤立した俺は何にも期待することはなくなり、ただ医者になることだけど支えに、日々を淡々と生きていた。
楽しみなどなかった分勉強が捗り、義兄よりもレベルが高い国内最高偏差値の医大に合格。その後前期と後期の研修医期間を大学病院で過ごしてから、脳外科医として加賀谷総合病院に着任した。
病院には既に義兄が内科医として勤務しており何かと邪魔をしてきたが、その頃の俺は子供時代と違って脳外科医としてそれなりの実績を築いていた。たとえ義兄でも昔のように俺が気に入らないからと排除することは出来ない。
職場とはいえ義兄と接点を持つのは不本意だったが、俺にとっては祖父との約束を守る方が大切だから兄の嫌みには耳を貸さないようにしていた。
だがそんな態度が原因で、院内では温厚な兄と冷たい弟というイメージが定着している。
父は俺が加賀谷総合病院に着任する前に院長を退いた。と言っても医師会の理事会の地位に就き今でも経営権を手放してはいない。
しかし現院長の木(き)崎(ざき)医師は昔から加賀谷総合病院で勤務するベテランで、俺も幼い頃は可愛がってもらっていた。
義兄は木崎院長と合わないようで愚痴を零していたが、俺は木崎院長になってよかったと思っていた。祖父の精神を継ぎ患者にとってよい病院になるようにと力を尽くしてくれる。院内で数少ない信頼できる人物だ。