無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
第五章 一からやり直す夜

 七月一日。今日から私は加賀谷総合病院で仕事を始める。
 久しぶりの仕事というのもあり、かなり緊張している。一方で楽しみでもありワクワクする。

 初日ということで、シンプルな紺のスーツを選び袖を通す。
 ヘアスタイルは邪魔にならずに清潔感があるハーフアップ。メイクは落ち着いた感じで。張りきって支度をしていると、克樹さんがやって来た。

「羽菜、そろそろ出られるか?」

 彼は白いTシャツに夏用のジャケットというスタイルだ。
 最近知ったのだが、彼はあまり服装に拘りがない。
 シンプルなデザインかつベーシックな色味の服が多く白、黒、グレーなどを適当に組わせて身に着けている。
 本人曰く組み合わせは適当だそうだ。
 それでも洗練した雰囲気を感じるのは、ひとえに素材がいいから。
 整った顔に、長身ですらりとしたスタイルという威力抜群の武器により、なんでも着こなせて羨ましい。
 今日だってきっと五分くらいで着替えただろうに、完璧にきまって見える。
 つい見入っていると、克樹さんの顔に戸惑いが浮かんだ。

「羽菜?」
 ――もしかして不安になってるのか? 俺と違って人当たりのいい羽菜なら間違いなく上手くやっていけると思うが、初日だから緊張するのは当然かもしれない。それに……。

「あと五分くらいで出られるよ」

 延々と続きそうな心の声を遮り返事をする。

「そうか。難しい顔をしていたから何かあったのかと心配をした」

 彼はほっとしたように微笑む。
 そんなに心配しなくたって大丈夫なのに。
 やたらと過保護で今日もわざわざ出勤時間を合わせてきた。

 たしかに初日の出勤に付き添ってもらえるのは心強いけれど、克樹さんに限っては正直いって微妙だ。
 私をスタッフに紹介して馴染むことができる流れを作る、なんて真似ができるのだろうか。
 必要最低限の紹介……例えば「妻の羽菜です」くらいの台詞がせいぜいではないだろうか。あまり期待せずに自分でがんばらないと。
 克樹さんの妻ということで注目を浴びるだろうから、気を抜かないようにして……。

「羽菜、そろそろ出ないと遅れるぞ」
「あっ、はい、今行く」

 克樹さんに急かされて、私は慌ただしく家を出た。



「加賀谷羽菜と申します。医療関係で働いた経験がありませんので、一から学んでいきたいと思っています。一日でも早く戦力になれるように努めますのでご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

 加賀谷総合病院企画課の一角で、私はスタッフの前に立ち笑顔で挨拶をした。
 企画課では病院を運営するための事業計画を立案し実行管理する。広報活動も業務の一環とのことで、幅広い知識が必要だと思われた。
 コンサル会社での経験があるとはいえ、異業種から転職の私はしっかり学ばせてもらわなくては。

 企画課のメンバーはトップの課長。五十代の恰幅がいい男性で話しかけやすい朗らかな印象の人だ。課長の補佐役らしい主任は四十代の男性。他にも数人の職員と庶務を担当しているパートさんが在籍している。
 私は一応理事長の義娘という立場だから、やり辛いと思われ敬遠される心配が少しあったのだけれど、今のところ特に意識されていない様子なのでほっとした。
 院内には克樹さんや、彼の兄の克人さんがいるから慣れているのかもしれない。

「羽菜さん、私が業務の説明をするのでなんでも聞いてくださいね」

 私に仕事を教えてくれるのは、中村さんだ。

 ライトブラウンのショートボブで活発な雰囲気。話しやすそうな人でよかった。

「はい、ありがとうございます」
「それじゃあ、ざっと院内の案内をしますね」

 中村さんは知っているかもしれないけどと付け加えてから企画課を出る。
 加賀谷総合病院は広い敷地に、旧館と新館が建っている。企画課があるのは旧館で、克樹さんの脳神経外科は新館にあるから、同じ病院に勤めていてもそうそうすれ違う機会はなさそうだ。
 各科や職員用のカフェテリア、以前克樹さんとランチを食べた中庭を、途中業務で関わる人に挨拶をしながら一時間ほどかけて回った。
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