無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
「え……でもあまり乗る機会なくない?」

 通勤で使うことはないし、車がなくても便利な立地に住んでいる。だから今までも車を持とうという話は出なかったんじゃないの?

「この前、ガラス工房に行ったときから考えていたんだ。羽菜ともっと様々なところに出かけたいと」
 ――ガラス工芸の体験をしていた羽菜は生き生きしていた。楽しそうな笑顔だった。もっと彼女が喜ぶところがみたい。

 克樹さんの心の声が流れ込んでくる。

 車を買おうとしているのは私のためなの?

「……克樹さんはそれで楽しめるの? 無理してない?」

 私だけが満足するのは違うと感じる。ご機嫌取りのように無理をして付き合ってくれても幸せだと感じられない。
 あのガラス工房で楽しいと感じたのは、同じ作業と時間を共有していたから。

「克樹さんも楽しめるようなことをしよう」

 克樹さんが目を見開き、それからとても幸せそうに目を細める。

「……そうだな」
 ――俺は羽菜と過ごす時間が楽しいんだ。こんな温かな気持ちになれたのは彼女のおかげだ。

 彼の声は切実な感情が籠っているように感じた。彼が本当にそう思ってくれているなら……。

「これからいろいろなところに行けたらいいね。近い内に車を見に行こうか」
「ああ」

 克樹さんが幸せそうに微笑む。もう彼の気持ちを疑うことはできなかった。


 そろそろ帰宅しようかという頃、雨脚が強くなった。
 窓の向こうの夜景が見えなくなるほどざあざあと大量の雨がざあざあと激しい音を立てて地面に降り注いでいる。
 まるで滝みたいだ。

 克樹さんがスマホを取り出した。帰りの電車を気にして運行情報でも確認しているのだろうか。
 地下鉄だから電車が停まることはなさそうだけれど、この中を帰るのは大変そう。

「人身事故が発生して電車が止まっている」

 隣でぽつりと零れた声に、私はえっと声を上げた。
 電車が止まっていたら帰ることができないんじゃない?

「タクシーで帰るしかないかな?」
「この雨だと呼んでも来るかどうか……羽菜、明日の予定は?」
「仕事は休みだけど、お昼すぎに友達と会う約束をしてる」

 克樹さんは頷いた。

「それならここに宿泊しよう」
 ――無理に帰るよりも負担が少ないはずだ。

 たしかにそうした方が楽かも。

「分かった。部屋が空いてるといいけど」
「確認してくる」

 克樹さんが素早く立ち上がり席を外した。電話をしているのかスタッフに聞いているのか分からないけど行動的だ。
 帰るよりも宿泊するという判断も早かったし。

 私との関係については心配性で心の中であれこれ悩んでいるみたいだけれど、いざというときは頼もしい。

「ひと部屋確保できた」

 克樹さんはすぐに戻ってきた。

「よかった。私たちみたいに急遽泊まる人たちがいたら満室かもしれないと心配してたの」
「ああ。部屋を選ぶことはできなかった」

 やっぱりほとんど埋まっていたんだ。早く行動した克樹さんのおかげだ。
 バーを出て客室に向かう。

「もしかしてここってスイートルーム?」

 客室のドアの向こうは、想像していたよりも倍は広いリビングルームだった。

「いや、スペーリアデラックスという部屋だ」
「そうなんだ……すごい部屋。寝室は別にあるんだね。そっちかな?」

 リビングの続きの扉を開いてみる。
 するとそこには“でん!”と効果音が聞こえてきそうな存在感を放つ大きなベッドが有った。
 キングサイズというものだろう。大人が三人から四人は悠々眠れそう。
 きっと寝心地もいいのだろう。でも克樹さんと同じベッドって……。
 戸惑っていると後ろから克樹さんの声がした。

「すまない、ツインの部屋に空きがなかったんだ」
「あ……克樹さんのせいじゃないんだから謝らなくても」

 緊急事態なのだから泊まれるだけでありがたい。こんなんことで文句を言うつもりはない。
 でも私を気遣う克樹さんは更に言葉を続ける。

「ベッドは羽菜が使ってくれ。俺は向こうのソファで休むから」
「え、まって。それはだめだよ。克樹さんは明日も病院に行くって言ってたでしょう? しっかり体を休めないと」

 紳士的な態度は素晴らしいと思うけれど、私たちは夫婦なのだからそこまで遠慮しなくていい。間に枕を置いても余裕があるすごく広いベッドなのだから一緒に寝ても大丈夫。

「だが、俺と一緒では羽菜が休めないだろう?」

 克樹さんはそれでもまだ不安なようだ。

 ――羽菜に嫌な想いをさせたくない。

「そんなことないよ。私、結構神経太いからぐっすり寝ちゃうと思う」

 本当はかなりドキドキしている。でもこうでも言わないと克樹さんは何が何でもソファで休もうとするだろう。

「本当に大丈夫か?」
「大丈夫。それとも克樹さんが私と一緒は嫌なの?」

 ちょっと意地悪な言い方だけれど、これで克樹さんは断れなくなるんじゃないかな。
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