無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
「ああ、昔から知ってるからな」

 迷う様子もなく短い返事が返ってくる。ただ質問に答えただけといった様子で、特別な感情はないように見える。

「そ、そうなんだ……」
 ――なぜそんなことを聞いてくるんだ?

 そのとき、どこか不機嫌そうな心が響き、どきりとした。
 こんなふうに不機嫌な彼の声を聞くのはいつぶりだろう。
 ここ最近はずっと優しかったのに……

 ――美聖となにか話したのか?

 私はひゅっと息をのんだ。
 克樹さんは日高先生を呼び捨ているんだ。

 些細なことかもしれないけれど、ふたりの親密さの証のような気がしてショックだった。
 もし日高先生が克樹さんに直接復縁を訴えたらどうなるのだろう。
 克樹さんはそれでも揺らがず私を選んでくれるのかな?

 聞いてみたい。でも聞くのが怖い。

「羽菜?」

 克樹さんが不審そうに私を見つめる。

「な、なんでもない……それより何を読んでるの?」

 結局核心に触れる勇気が出ずに話題をそらしてしまった。
 克樹さんは納得がいかない様子ながらも私の問いに答えてくれる。

「海外の症例報告だ」

 彼が手にしているタブレットを覗くと、細かな英文が並んでいる。
 The New England Journal of Medicine。有名な医学雑誌だ。

「ごめん。勉強中だったんだね」

 医学は日進月歩だと言う。脳外科医としての地位を築いている克樹さんも、常に努力を続けていなければならない。

「大丈夫だ」

 克樹さんに促されて彼の隣に座る。

「来月に大きなオペがある」
「あ、特別室に入る患者さんのこと?」

 その患者は脳腫瘍を患い元の総合病院に罹っていたが、そこではオペが難しいため最新設備を備え症例数が多い加賀谷総合病院に転院することになったそうだ。

 克樹さんが執刀医に指名されたのだけれど、このオペは院内だけでなく、世間でもかなり注目されている。
 というのも患者が有名人なのだ。
 紫(し)前(ぜん)泰(やす)孝(たか)さんという名前の三十歳の男性で、職業は国内AI企業最大手の社長。
 経済界で強い影響力を持っているらしい。眉目秀麗で社長だと言われなかったら、モデルか俳優と勘違いしそうなほどだ。 
 プライベートではレーシングチームのオーナーを務め、活動をSNSや動画配信サービスで自ら発信をしている。
 超富裕層のうえに際立った容姿をして趣味のレースは好成績を残していることから、彼の知名度は非常に高い。

 今回の病気が見つかったとき、彼は病状を世間に公表した。今後の治療方針なども続報としてあげ続けている。さすがに執刀医の名前は出していないが、もし病院名が漏れたら、克樹さんのこともそのうち特定されると思われる。

 克樹さんは以前に、【若き脳外科医の活躍】といったテーマでメディアの取材を受けているため、ネットの世界には彼の名前があちこちに散らばっていて特定されやすい。

 私たち事務職員もマスコミの取材などに備えて準備をするとのことで、今日情報共有があったのだ。

「難しいオペだがなんとしてでも助けたい。だから最善を尽くして準備をしたいんだ」

 克樹さんの真剣な表情から彼の決意が伝わってくる。
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