無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
 他の病院で匙を投げられた症状のオペだ。優秀と言われる彼だってプレッシャーを感じているはず。
 それなのに私は日高さんとの関係を、問いただすようなことをしてしまうなんて。今もこうして努力している彼に対して情けない自分が恥ずかしくなる。でも凹んでいる場合じゃない。少しでも克樹さんのフォローをしなくては。

「克樹さんがベストなコンディションを保てるように私もフォローするから」
「ああ、ありがとう。心強いよ」

 克樹さんが私の肩を抱き寄せる。
 そのぬくもりに幸せな気持ちが込み上げた。




 七月後半になると紫前さんの件で問い合わせや取材の申し込みがいくつか来はじめた。
その対応や通常の業務に忙しく過ごしていたある日のカフェテリアで、不穏な噂を耳にした。

「克人先生と克樹先生が喧嘩したんだって」

 その声は中村さんと日替わりランチを食べているときに、隣のテーブルから聞こえて来た。
話の内容に驚いて思わず隣に顔を向けると、若い女性の看護師ふたりが席に着いていた。彼女たちは話に夢中のようで、私の視線には気づかず会話を続ける。

「うそ、本当に? どこで?」
「院長室で。喧嘩中に偶然部屋の前を通ったから聞こえたんだって」

 人の会話に聞き耳を立てるのは品がない行動だと分かっているけれど、気になってしまって耳をそばだててしまう。

「克樹先生が克人先生に対して怒鳴ってたらしいよ」

 心臓がどくんと跳ねた。
 克樹さんが怒って、大声を上げたなんて信じられない。

「原因は?」
「怒鳴る前の話は聞こえなかったみたい。でも克樹先生かなり怒ってたみたいだよ」
「それはやばいね」
「うん」
「でも、実は私いつか揉めそうだと思ってたんだ」

 看護師の女性が声を潜めた。

「どうして?」

 もうひとりの女性が意外そうに聞き返す。

「半年くらい前に一度だけだけど、克人先生と克樹先生が揉めてるところを見たことがあるの。そのときは怒鳴ったりはしていなかったけど険悪な雰囲気でね、意外と兄弟仲がよくないんじゃないかって思ったんだ」
「えーそうなんだ。克人先生って優しくて人当たりがよくて誰にでも好かれそうなタイプなのに」
「でも克樹先生は気難しそうだよ」
「たしかに。この前もね……」

 彼女たちの会話はその後も途切れず続いていたが、休憩時間が残り僅かになったのか慌てた様子でカフェテリアから出て行った。
 私は詰めていた息を吐くように深いため息を吐いた。憂鬱さがこみ上げる。

「羽菜さん、大丈夫?」

 向かいに座っていた中村さんが心配そうな視線を向けてきた。おそらく彼女も今の話を聞いていたのだろう。

「はい、かなり驚きましたけど」
「そうだよね。誰が聞いてるか分からないカフェテリアであんな話をするなんてちょっと無神経だよ。変な噂が回って患者さんの耳にも入ったら大変なのに」

 中村さんが浮かない表情で、無人になった隣のテーブルに目を遣る。先ほどの会話の内容を思い出しているのかもしれない。
 私も未だに驚きが冷めないでいる。
 院内で兄弟喧嘩をしたのはもちろんだけれど、正確な事情を知らない人たちが克樹さんに問題があると思っていることに更にショックを受けた。
 たしかに克人さんは人当たりがいいし、職員からの評判もいい。でも克樹さんだって優秀な脳外科医と認められているのに。
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