無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
「距離があって気まずいならもう少し克人さんと交流を持ったらどうかな? 克樹さんから誘ったりするのが難しいなら私が伝言役をしてもいいし。克人さんとは仕事中にときどき顔を合わすんだけど、普通に話すことができるから。この前も休憩のときに一緒になって……」
「必要ない!」

 克樹さんが私の発言を遮り大きな声を上げた。今まで聞いたことがないような厳しい声に、私はびくりと肩を震わせ黙り込む。
 彼は明らかに苛立った目をして私を見ていた。
 こんなふうに私に対して怒る彼を見るのは初めてで、私は驚きと不安のあまりそれ以上何も言えなくなってしまった。
 そんな私の様子に気づいた克樹さんの顔が歪む。失敗したと思ったのかもしれない。

「……大きな声を出して悪い」
「ううん、大丈夫」

 でも、私はもう克樹さんを説得することができなくなってしまった。
 大きな声が怖かったわけじゃない。厳しい父からよく叱責されていたので慣れているし、社会時になってからも顧客からヒステリックなクレームを入れられたことだってありある程度の耐性がある。

 それなのに何も言えないのは、これ以上克樹さんに拒絶されるのが怖いから。
 さっきの彼は本気で私を嫌がっていた。その事実に胸を鋭く貫かれたような痛みを覚えた。
 これ以上話す気力を奪ってしまうほどに。
 彼の為と思ってしたことは、迷惑でしかなかったんだ。
 私はまだ彼のことを理解できていない。その事実がともて辛いと感じる。

 今更のように自覚した。
 お見合いをして結婚生活に希望を抱いていたあの頃よりもずっと深く彼を大切に感じている。
 だからオペを成功させようと頑張る克樹さんの力になりたかったのに。
 私は彼の味方でいたかっただけなのに。心から彼の力になりたかっただけなのに。
 どうしてあんなに怒ったのか分からない。

「……あれ?」

 そのときふと気が付いた。
 さっき、克樹さんの心の声が聞こえなかった。
 しっかり目を見て話していたのに、何も伝わってこなかった。
 いったいいつから聞こえなくなっていたの?
 なぜこんなに彼の気持ちが知りたい今なのだろうか。
 あまりの間の悪さに気持ちが沈むばかりだった。 


 克樹さんを怒らせてしまった日から、気まずい関係が続いている。
 心の声が聞こえない今、彼が何を考えているのか分からなくて、彼とうまくやっていく自信がなくなってしまった。
 だから以前は不満だった彼の在宅時間の短さが逆に助かっている状況だ。

 といってもいつまでもこのままでいる訳にはいかない。以前のような仮面夫婦に戻るなんて絶対に嫌だから。
 克樹さんへの気持ちを自覚した今、私から離婚を希望することもあり得ない。
 できれば蟠りを失くして、お互い理解し合う関係になりたいのだけれど。
 悩みながらも担当業務をこなしてそろそろ昼休憩という頃、私の席の電話が鳴った。

「企画課、加賀谷です」
《あ、羽菜さん。克人です》

 柔らかな声が聞こえて来て心臓がどきりとした。
 どうして克人さんが私に電話を? 仕事でかかわることなんてないのに。

《急なんだけど今日の昼休憩に時間を取れないかな? 克樹のことで話があるんだ》

 私は思わず目を瞠った。話というのはきっと例の兄弟喧嘩についてだろう。でも克樹さん本人ではなく私に連絡をしてきたのはなぜなのか……もしかして仲直りの仲介を期待されているのかな?

 克人さんは、私と克樹さんが既にその件で揉めているということを知らないし。
 どうしよう。克樹さんは私が首を突っ込むのを嫌がっていた。でもこうして連絡をしてきた克人さんを突っぱねる訳にはいかないし……。
 ぎゅっと受話器を持つ手に力を入れて、私は口を開いた。

「分かりました。どこに伺えばいいでしょうか?」
《羽菜さんたちのマンションの方に、花和みという喫茶店があるんだ。分かるかな?》
「はい。桜並木の近くのですよね」
《そう。少し歩くけどうちの職員の目がないところの方がいいと思って。三十分後に店の中で待ってるよ》
「はい、わかりました」
《それから克樹には事後報告にしてほしい》
「え?」
《実は克樹と少し揉めていてね。僕が羽菜さんと会うと知ったら確実に反対されるだろうから》
「ああ、そうですよね。分かりました。話すのは戻ってからにします」
《ありがとう》

 その一言で通話が切れた。 私はゆっくり受話器を戻すとため息を吐いた。
 このもやもやした感じは、後悔だろうか。
 このことを知ったら、克樹さんはきっと嫌がるだろう。
 やっぱり克人さんの誘いは断った方がよかった? 

 でも、もう行くと言ってしまった。後悔したって今更なかったことにはできない。だったら前向きに考えよう。
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