無口な脳外科医の旦那様、心の声(なぜか激甘)が漏れてます!
 克人さんにお願いして、克樹さんの悪い噂は誤解だと周囲の人に名言して貰ったらどうだろう。ただの兄弟喧嘩だったと分かれば、皆も納得するんじゃないかな。
 職場での言動として相応しくはないけれど、今みたいに不信感が籠った目で克樹さんを見る人はいなくなるはず。
 私はそう気持ちを持ち直し、急ぎ残りの仕事を片付けた。
 中村さんにお昼に外出すると伝えて、病院を出たのだった。
 

 花和みにつくと既に克人さんが奥の席に着いていた。
 彼は入口から入ってきた私に気づくと、さっと片手を上げる。
 私は足早に彼のもとに向かい、空いている椅子に座った。

「お待たせしてすみません」
「そんなに待ってないから大丈夫。こちらこそ急に呼び出して申し訳ない」

 克人さんは相変わらず柔和な態度だ。
 食欲はあまりないけれどメニューにさっと目を通し、日替わりランチとアイスコーヒーを注文する。
 冷たい水を飲み、店内をさりげなく見回した。よかった見覚えがある人はいない。

「うちの職員はいないから大丈夫だよ」

 私の様子を見た克人さんが言った。

「あ、もう確認済でしたか」
「まあね。できれば聞かれたくない話だから。ここは駅の反対方向だからあまり知られていないみたいなんだ。羽菜さんは近所だから知ってたのかな?」
「はい。何度かお茶を飲んだこともありますし」

 克樹さんに離婚宣言をし、その後階段から滑り落ちるという苦い思い出がある場所だけれど、このお店自体は気に入っている。
 窓からの眺めもいいし、レトロな店内の雰囲気も私好みだ。

「それならよかった。話は食事を済ませてからにしようか」

 克人さんに同意して、いつもより早いペースで食事を済ませる。
 一息ついたところで、実はと克人さんが困ったような表情で切りだした。

「もしかしたら既に聞いているかもしれないんだけど、克樹と揉めてしまってね」
「はい。そういった噂が流れているのは知っています」

 予想したとおりの用件だった。私は気を引き締めながら返事をする。
 何を言われるかは分からないけれど、慎重に返事をしなくては。

「克樹から話は聞いている?」
「詳しいことは聞いていません。ただ仕事の件で意見が食い違い感情的になったと」
「そうか……まあ正直には言えないよな」

 苦笑いで零した克人さんの発言には明らかに含みがあった。
 それに克樹さんが隠し事をしていると指摘するような言い方をした。

「たしかにきっかけは仕事についてなんだよ。克樹と僕の間で病院運営の考え方が違っていてね」
「運営ですか?」

 そおらく中長期の事業計画についてだろう。それこそ今私が所属している企画課が主導して進めているものだ。
 克樹さんが感情的になって兄弟喧嘩をするほど関わっているとは思えないのだけれど。

「具体的な話ではないよ。うちの病院が将来的にはこうでありたいっていう理想のようなものかな。克樹はね、幼い頃から加賀谷総合病院を開いた祖父に懐いていて、多大な影響を受けているんだ。未だに患者ひとりひとりを大切にする医療を。なんて理想的なことばかり言う」

 克人さんが参ったよとでもいうように肩をすくめる。

「よい心がけじゃありませんか? 患者にとって親身になってくれる医師がいるのは心強いと思いますけど」

 克人さんが苦笑いになる。
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