成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】

大切なパートナー

「君たちは、先代から続く、この会社の社訓を知っているかな?」
「社訓……ですか?」

 真理子が首を傾げながら声を出すと、常務はゆっくりと頷いた。

「社訓というより、モットーというべきかな」

 常務が顔を向けた会議室の壁には、墨で書かれた大きな文字が額縁に入っている。

「全員野球……」

 真理子はそれを、小さく声に出した。

「そう。これが先代から続く言葉だ。もうこんな言葉、今どきの若者には死語って言われるかも知れんがね」

 常務は自分の頭を撫でながら、はははと楽しそうに笑う。
 真理子が首を傾げていると、成瀬がそっと耳元に顔を寄せた。

「一部の社員だけじゃない、社員一人一人が主役になって、みんなで会社を盛り上げていこうって意味だ」

 真理子は近くで聞こえる成瀬の声に、ドキドキしながら首を縦に振る。
 常務は、笑顔の奥の瞳を光らせながら、成瀬の顔を正面から見据えた。

「成瀬くん。このビラには明らかに悪意がある。社内を分断しようとしている、悪意がね。だからこそ、フロアに戻って事実を説明する必要があるんじゃないかな」

 常務はチラッと真理子の方に顔を向ける。

「水木くんのことは、君が守ってあげなさい。大切なパートナーなんだろう?」
「え?」

 真理子は思わず声を出し、成瀬の顔を見上げた。
 成瀬は静かに真理子を見つめている。

「……わかりました」

 しばらくして、成瀬は不安を押し殺すような声でうなずいた。

 真理子たち四人は、廊下まで叫び声やざわめきが聞こえるフロアに向かって、ゆっくりと歩きだした。
 最初に成瀬が扉を押し開け、中へと一歩入る。
 その途端、フロアにいた社員全員がこちらを振り返った。
 それぞれの手には、あのビラが揺れている。

 真理子は、みんなの目線と手元のビラに写る自分の姿を見て、一瞬足がすくんで動けなくなった。
 その様子に気がついたのか、成瀬が後ろ手に手を伸ばし、みんなから見えないように真理子の手にそっと触れる。
 真理子は、はっと顔を上げた。

 ――大丈夫。柊馬さんが一緒だ……。

 真理子は成瀬の背中を見上げ、小さく手を握り返した。
 フロアの真ん中まで来ると、常務がおもむろに成瀬の前へと歩み出た。

「皆さん、一旦作業の手をストップして話を聞いてもらえますかな」

 常務の声は穏やかだが、よどみがない。
 真理子たちは、常務の後について立ち止まった。
 その場にいる全員が、こちらに注目している。
 特に女性社員たちの睨みつけるような目線は、真理子に集中的に注がれた。

「あの子、ランチ会の時も成瀬課長に色目使ってたもん……。自分から言い寄ったんだよ」
「うわ! 見かけによらず大胆―」

 小さな声が聞こえ、真理子がはっと顔を向けると、さっき面談で成瀬にアドレスを渡したと言っていた女性社員が、キッと真理子を睨みつけていた。
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