成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】

黒い影

 卓也は、休憩室の自動販売機で缶コーヒーを買うと、深く息を吐きながら椅子に腰かけた。

「真理子さん、すごい怒ってたな……」

 無理やり抱きしめた卓也の腕を振り払い、走って去っていった真理子の顔を思い出す。

 ――きっと、真理子さんに嫌われた。

 卓也は深くため息をつくと、首を大きくうなだれる。
 真理子を見つめる成瀬と社長の顔を見た途端、卓也の中でどうしても気持ちに歯止めが利かなくなっていた。
 それでどうこうなるとは思っていない。
 ただ、どうしても二人の元に真理子を行かせたくなかったのだ。

「……ったく、なんでこんな日に限って、夜中に一人で作業なんだよ」

 悪態をつきつつコーヒーを口に含んだ時、ざわざわと楽しそうな声が近づいてくるのが聞こえる。
 振り返ると、営業部などに所属している同期が数名、通りかかるところだった。

「お! 佐伯じゃない。これからみんなで飲みに行くけど、お前もどう?」

 軽い声に卓也はしかめっ面を向けると、顔の前で手を横に振る。

「今日はサーバーのバックアップで居残りなの。どうぞ、楽しんできて」
「なんだよ、可哀そうだなぁ」

 同期たちは軽く笑うと、興味津々な顔つきで休憩室に入って来た。

「そういや、お前のとこの地味子先輩、昼間すごかったな」
「そうそう。専務にあの剣幕で迫れるって、ある意味命知らずだよな」

 卓也は同期たちの馬鹿笑いを聞き、眉間に皺を寄せる。
 すると後ろにいた女性社員が二人、ひょっこりと顔をのぞかせた。

「佐伯くんは、地味子先輩が家政婦してるの、知ってたの?」
「いや……全く」
「ふーん。やっぱり秘密だったんだぁ。最初すごい驚いたけど、でも地味子先輩で良かったかも」
「なんで……?」

 女性社員は可愛らしく首を傾げながら、人差し指をぴんと立てると、卓也の顔を覗き込む。

「だっていかにも家政婦って感じでしょ? あの人なら、成瀬課長とどうこうなる訳ないし」
「あたしも成瀬課長と遊園地行きたーい」
「ほんとほんと! 役得だよねぇ」

 女性社員は顔を見合わせると、「ねー」と頷き合っている。
 卓也はその様子に、嫌悪感すら感じていた。

「じゃあな。佐伯」

 同期たちは勝手に話を終わらせると、声を弾ませながら帰って行った。

「好き勝手言いやがって」

 卓也は舌打ちを打つと、コーヒーの缶をゴミ箱に投げ入れ、フロアへと戻る。
 今日は夜中に一人で作業する予定だ。
 扉を開けると、フロアにはもう誰の姿も残っていなかった。
 しーんと静まり返り、パソコンのファンの音だけが響くデスクに戻る。
 ふと、真理子の机に目をやった時、ガチャリと静かに入り口の扉が開く音が聞こえ、卓也はビクッと振り返った。
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