成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】
「柊馬さんにとって、佳菜さんの存在って……」

 真理子が声を出した時、それを遮るように成瀬が口を開いた。

「佳菜が教えてくれたんだ。佳菜が俺に、初めて笑い方を教えてくれた」

 真理子は、目の前が真っ暗になるような気がしていた。

「真理子……」

 成瀬が何か言おうとしている。
 それでも、今の真理子には成瀬の言葉の続きを聞く勇気なんてなかった。

「ご、ごめんなさい。もう遅いし、私、帰りますね」

 真理子は突然立ちかがると、瞳にたまった涙がこぼれ落ちるのと同時に下を向く。
 それを成瀬に気づかれないように荷物をつかみ取ると、真理子は急いで玄関へと駆けだした。

「真理子。ちょっと待て!」

 後ろでバタバタと、成瀬が追いかけてくる足音が聞こえる。
 真理子はその音から逃げるように、両手で玄関のドアをバタンと閉じた。

 エレベーターに飛び乗り、マンションのエントランスを走って横切る。
 そして、息を切らしながら歩道へと飛び出した。
 足を止めた途端、目には次から次へと涙があふれだす。

 ――(かな)うわけない。そんな人に、私が敵うわけがないじゃない。

 真理子は口元を手で覆うと、わぁっと声を上げてしゃがみ込んだ。

 ――柊馬さんはずっと、佳菜さんの事が好きだったんだ。それはきっと、今でも変わらない……。

 冬を目前にした夜の風は、真理子の心の中までも冷たく吹き抜けて行くようだった。



 バタンと閉じたドアの前で、成瀬は立ち尽くしていた。
 真理子が駆けて行ったであろう足音は、もうだいぶ前に聞こえなくなっていた。
 成瀬は小さく息をつくと、静かにリビングへと戻る。

「乃菜?」

 すると乃菜が、ゆっくりと成瀬の近くへと寄って来た。

「どうしたんだ? そろそろ寝る支度でもするか」

 そう言いながら、ダイニングテーブルのカップに手をかけた成瀬の腕を、乃菜が力強くぐっと引く。

「とうたん」

 いつになく真剣な表情の乃菜に、成瀬は首を傾げた。

「とうたんは、まりこちゃんのことがすきなの?」
「え……?」

 乃菜の言葉に、成瀬は目を開いて一瞬たじろぐ。
 乃菜はそれを見透かすかのように、大人びた顔をした。

「のなはね。まりこちゃんに、ママになってほしいの。だから……」

 乃菜は成瀬の目をまっすぐに見上げた。

「だから、とうたんには、あげないよ」
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