成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】

黒い動き

 朝一番に出社した真理子は、コーヒーを入れるために給湯室に向かう。

 ここ数日はいつもこのパターンだ。


 あの夜の社長の突拍子もない提案は、真理子の心に大きな衝撃を与えた。
 そのせいか、最近は今までよりも早い時間に目が覚めてしまうのだ。

 『家族ごっこ?』

 訳が分からず首を傾げた真理子に、社長は優しくほほ笑んだ。

 『真理子ちゃんと、乃菜と俺と三人で、家族ごっこしよう。そこから、本物になればいいなと思ってるよ』

 社長の言葉が耳に残る。

「さらっと言ってたけど。あれって、下手したら告白だよね!?」

 真理子は給茶機のボタンをぐっと押した。
 こんなに地味な自分が、社長に好意を持たれるはずなんてない。
 失恋した自分をからかっているんだ。
 真理子は、そう思いながらも“家族ごっこ”という言葉に、心が揺れたのは事実だ。

 ――社長って、本当に規格外。柊馬さんとは全然違うタイプだけど……。でも、ちょっと面白いかも。

 社長の少年のような顔を思い出し、真理子はふふっと肩を揺らした。

 ――社長のおかげで、ちょっと気持ちが軽くなったな。

 真理子は足取りも軽くフロアに戻って行った。

 デスクに戻った真理子は、ふと卓也がまだ出勤していないことに気がつく。
 ここ最近は遅刻ギリギリに飛び込んでくることも少なくない。

「部長、卓也くんが関わってる案件って、そんなに大変なんですか?」

 カップをそっとデスクに置くと、真理子はシステム部長の顔を覗き込んだ。
 部長はパソコンの脇から、にゅっと丸い顔を見せる。

「なんでも成瀬くんと一緒に、データ抽出だけじゃなくて、分析までしてるらしいよ。だからかなぁ。残業も多いんだよね」
「ふーん」

 真理子は、部長に軽くうなずきながら目線を戻した。
 卓也がどんな業務を依頼されているのかは、真理子は聞かされていない。
 でもそこまで忙しい案件なら、成瀬が家政婦に入れないのも納得できる。

「あれ以来、柊馬さんの顔も見てないんだよね……」

 真理子がぽつりとつぶやくと、卓也がタイムカードに滑り込む様子が目線の端に映った。
 卓也は息を切らしながらフロアを横切ると、部長と真理子に小さく挨拶をしながら椅子に座る。
 急いでパソコンの電源を入れる卓也の顔を、真理子はそっと覗き込んだ。

「卓也くん、大丈夫なの? 疲れてるんじゃない? 仕事大変なら、私も手伝おうか?」

 卓也は、心配そうに眉を下げる真理子を横目で見ると、小さく鼻で笑った。

「本当に、真理子さんって、お人好しですよね」
「え? どういう意味……?」
「言葉そのまんまの意味ですよ。あんまり人の事、信用しすぎると、いつか酷い目に合いますよ……」

 卓也の言葉に真理子が眉をひそめたのと同時に、部長のデスクで内線が鳴った。
 すると、軽やかに電話を取った部長の顔は、みるみるうちに青ざめていく。
 部長のぽよんとしたお腹でさえ、凍り付いていくようだ。
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