成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】

突然の接近

「お、おはようございまーす……」

 消え入るような声を出しながら、真理子はサッとフロアを横切る。
 身をかがめるように、自分の席に腰を下ろした。
 昨夜は全く寝つけなかった。
 それもそのはず“クール王子”で名高い成瀬の、買い物カゴを手にした姿を見てしまったのだ。

 ――それに、子供も……。結婚してるってこと? そんな噂、出てなかったのに。

 青ざめた顔でぶんぶんと首を振る。

「真理子さん! 真理子さん!」

 すると卓也が汗をかきながら、駆け足でフロアに入ってきた。

「さっきチラッと聞いたんですけど、やっぱり近々、人事部から何か発表があるらしいですよ!」
「そ、そうなんだ……」

 卓也は真理子の顔を覗き込んで首を傾げる。

「あれ? 興味ないんですか?」
「い、いや。そんな事はないけど」
「ふーん。そういや、成瀬課長が……」
「な、成瀬課長!?」

 真理子は、ガタッと音を立てて椅子から飛びあがる。
 卓也は真理子の様子に目を細めてから、再び首を傾げた。

「いや。何でもないよ……」

 真理子は冷静を装ってキーボードに手を伸ばす。

「ねえねえ! 成瀬課長がさぁ……」

 するとしばらくして、フロアの遠くから誰かの声が聞こえてきた。
 その声にキーボードをガチャリと鳴らす真理子の顔を、卓也がじっと見ている。

「あー、ちょっと……コーヒー入れて来ようっと……」

 真理子は卓也の視線から逃れるように、給湯室に駆け込んだ。

「ど、どうしよう。名前を聞いただけで、動揺が抑えられない……」

 真理子は給茶機にカップをセットすると、コーヒーのボタンを押した。

 ――もしかして、大変な秘密を知っちゃったんじゃないの!?

 ジーッと機械音が聞こえ、コーヒーが糸を引くようにゆっくりと注がれていく。
 その様子をぼんやり見つめていると、廊下で歩きながら話している女性社員の声が聞こえてきた。

「成瀬課長ってさぁ、常務の娘とお見合いするって、噂があるんだって」
「うっそー。ショックー」

 ――え……!?

 真理子はビクッとして、思わず取り上げたカップから、コーヒーを手にこぼしてしまう。

「あちち……」

 慌てて水道の蛇口をひねりながら、ふと首を傾げた。

「……常務の娘とお見合い? 子供がいるのに?」
「誰がですか?」
「だから、成瀬課長が……」

 そう言いながら振り返った真理子の顔から、サッと血の気が引いていく。
 給湯室の入り口に立っていたのは、まぎれもなく成瀬課長ご本人だった。
< 6 / 101 >

この作品をシェア

pagetop