成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】
「ひぃぃ……」

 真理子の口から悲鳴のような、うめき声が漏れた。

「やっぱり、あなただったんですね」

 成瀬は腕を組み、入り口を塞ぐように肩をもたれかけ、じっと真理子を見つめている。
 真理子は、初めて相対する成瀬にどぎまぎとしながら、上目づかいでそっと様子をうかがった。
 伏し目がちの切れ長の目から覗くのは、感情の読み取れない鋭い瞳。
 そして、すっと通った鼻筋に、形のいい薄めの唇。
 まるでどこぞの王子様のようだ。

 ――ミステリアスな氷の彫刻……。

 妙にその言葉がしっくりくる。
 真理子は思わず、成瀬の顔をうっとりと見とれそうになって、慌てて気を取り直した。

「し、失礼します……」

 真理子は下を向くと、昨日と同じく逃げるように足を出した。
 その瞬間、長い腕が真理子の行く手を阻む。

「あなた、昨日見ましたよね?」

 感情のこもらない低い声が、冷たく室内に響く。
 真理子が、小刻みに震える手を握りしめながらうつむくと、小さなため息とともに、成瀬が眼鏡をそっと外した。
 初めて見る“クール王子”の素顔に、真理子の目線はくぎ付けになる。

 ――なんて、魅惑的な瞳だろう……。

 思わず動けなくなる真理子に、成瀬が一歩近寄った。


「確かに、あなただったはずです。水木真理子さん」

 成瀬はそう言うと、真理子の顎を長い指先でくっと捕らえた。

「え……」

 鼻先すれすれに成瀬の吐息を感じ、目眩がしてくる。

「知られてしまったからには、仕方がありません」

 成瀬は相変わらず、感情の読み取れない鋭い瞳を向けたまま、真理子の耳元でささやいた。


「今日の定時後、昨日の場所で……」

 すると成瀬は、何事もなかったかのようにぱっと身をひるがえし、給湯室を後にする。

「え!?」

 真理子は思わず大きな声を出し、慌てて口元を押さえた。

「ちょ、ちょっと! 待ってください!」

 ばたばたと成瀬の後を追いかけたが、その姿はすでに見えない。
 真理子は誰もいない廊下で、腰が砕けたように、へなへなと座り込んだ。
 今更ながらに心臓はドキドキと激しく脈打ちだす。

 ――“クール王子”に、素顔で迫られた……。

 真理子は真っ赤になった頬を押さえながら、もう一度さっきの会話を思い出した。

 ――今日の定時後。昨日の場所……?

 そして突然、脳裏に浮かんだのは、左遷された元営業部長の顔。
 成瀬は人事部長だけでなく、社長からも絶大な信頼を得ている人物だ。
 秘密を知ってしまった真理子を、どうこうするなんて容易いはず……。

「え!? そういうこと!? 私……どうなっちゃうのー!?」

 甘い余韻と不吉な予感に埋もれながら、真理子の悲鳴は誰もいない廊下に響き渡った。
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