成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】
「ねえ、柊馬。ライバルだけど、親友として一つだけ教えてあげようか」

 明彦は悪戯っぽく笑うと、人差し指をピンと口の前に立てた。

「どうも真理子ちゃんは、勝手にお前に失恋したと思ってるらしいんだよね」
「ん? どういう事だよ」

 予想もしなかった明彦の話に、成瀬は思わず聞き返す。

「さぁね。柊馬が無自覚に、真理子ちゃんを振っちゃったんじゃないの?」

 明彦は飄々(ひょうひょう)とした顔でそう言うと、楽しそうに肩を揺らした。

「振るって……なんだよ。じゃあ、真理子は俺の事……。その、好きだって言うのか……?」

 成瀬は口元に手を当てると、珍しく動揺した様子を見せる。

「さぁね。はっきり、柊馬の名前を聞いた訳じゃないよ。ただつい最近、失恋したってのは本当」

 明彦はチラッと横目で成瀬に目をやった。

「だったら、相手が俺かはわからないだろ。それに、俺はそんな事、一言も……」

 成瀬はそう言いながら、あの日の真理子の様子を思い出す。
 あの夜、真理子は成瀬の話を聞くことなく、マンションを飛び出して行った。

 ――そう言えば、飛び出す瞬間、真理子は泣いてた……。

 もしかして、真理子が社長室に入って来た時、成瀬の顔を見て気まずそうに目を逸らしたのは、そのせいだったのか。

「ふーん。心当たりあるんだね」
「ち、違う……」

 腕を組んで見つめる明彦に、成瀬は慌てて首を振る。

「珍しいね。柊馬が慌てるなんて。じゃあ聞くけどさ。柊馬は真理子ちゃんのこと、どう思ってるの?」

 目を開いて固まる成瀬を、明彦が鋭く見据えた。

「それは……」

 成瀬は言葉に詰まって、口を閉ざす。

「ま、当然言わないよね。柊馬は昔から、自分の事は秘密にするもんね」

 明彦は小さくため息をついた。

「柊馬が真理子ちゃんのことを、どう思っているのか。当然、本当の気持ちは知らないよ。でもね……」
「でも?」
「俺は、そこに付け入らせてもらうよ」

 明彦の言葉に、成瀬の瞳が小さく揺れる。

「それは……どういう」

 成瀬の戸惑った言葉を遮るように、明彦が口を開く。

「ごめんね。柊馬。乃菜が望んでるんだ」

 乃菜の名前を聞いた途端、成瀬の身体はぴたりと動かなくなった。


 『のなはね。まりこちゃんにママになってほしいの』

 成瀬の脳裏に、あの日の乃菜の言葉が何度も繰り返される。


「乃菜のためを思ってくれるなら、真理子ちゃんの事は、このままそっとしておいてくれないかな」

 静かな部屋に明彦の声が響く。
 成瀬は静かに目を閉じた。

 自分は今まで、乃菜の幸せを願って過ごしてきた。
 家政婦として、乃菜と明彦の生活を一番近くで支えてきた。

 ――それが、佳菜との約束だったから……。

 成瀬はゆっくりと目を開けると、作業を進める真理子の姿に目を向ける。
 しばらくして、成瀬はゆっくりと明彦を見つめた。

「……わかった」

 成瀬の低い声は、まるでガラス張りの壁に吸い込まれるように、静かに消えていった。
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