成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】
「真理子! 待て!」

 成瀬は小さく叫ぶと、ダイヤルを押そうとする真理子を抱きかかえ、その手を握る。

「柊馬さん、離してください。卓也くんは……今どきの子だけど、真面目で素直な良い子なんです。そんな事、するはずがない……」

 真理子は信じられない気持ちで、今にも泣きだしそうになっていた。
 成瀬は、そんな真理子の震える肩を、強い力でぎゅっと抱きしめる。

「お前が佐伯を後輩として、大切に育てて来たのは知ってる。これはまだ俺の推論で、事実とわかったわけじゃない。ただ……」
「ただ……?」

 成瀬の手に、さらに力がこもった。

「ただ、これが事実だとしたら、れっきとした犯罪だ。相手に動きを悟られてはならない……」

 耳元で聞こえる成瀬の声に、真理子は頭の中が真っ白になる。
 成瀬は真理子をソファに座らせると、静かに受話器を取った。

 淡々と話す成瀬の後ろ姿を、ぼんやりと見上げた。
 電話の相手はシステム部長だろうか?
 真理子は話の内容がわからないまま、ただ成瀬の低い声をじっと聞いていた。

「そうですか。わかりました……」

 しばらくして、成瀬は受話器を置くと、眼鏡を外して一旦目元をぐっと押さえる。

「……どうしたんですか?」

 恐る恐る聞く真理子に、成瀬は静かに息を吐いた。

「佐伯は、今日は出社していない……。無断欠勤だ」

 眼鏡をかけながら振り向いた成瀬の厳しい声に、真理子の全身に衝撃が走った。

 ――このタイミングで、無断欠勤!?

 これでは疑ってくださいと言っているようなものではないか。
 目を見開いたまま呆然とする真理子の横で、成瀬はもう一本電話を入れている。

「はい……では、これから伺います」

 電話を切った成瀬が、ゆっくりと真理子の側に寄った。

「真理子。動揺している暇はない。すぐに外出するぞ。少し遠いから、覚悟しとけ」

 成瀬は淡々と扉を指さしながらそう言うと、真理子の頭に大きな手を置いた。

「え……」

 真理子は思わず成瀬の顔を見上げる。
 ぽんぽんと頭に触れる手の平から、成瀬のぬくもりが伝わって来た。
 真理子はその温かさに、次第に落ち着きを取り戻す。

 ――いつだってそうだ。柊馬さんの言葉は、ちょっと強引で飾り気がないけど、本当は私を気づかってくれている。

 真理子は顔を上げると、成瀬に向かって大きくうなずいた。
 正直まだ頭の中は、全く整理ができていない。
 それでも、自分たちに会社を託すと言った社長の覚悟に向き合うためにも、今できる最大限の事をしよう。
 真理子は引き出しから鞄を引っ張り出すと、ぐっと手に力を込める。
 そして、社長室を出ていく成瀬の背中を追って駆けだした。
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