成瀬課長はヒミツにしたい【改稿版】
 すると、真理子の声に気がついた田中さんが、おもちゃを手に小さく振ってくれた。
 真理子は慌てて口元を押さえると、ぺこりとお辞儀を返す。

「奥はイルミネーションライトのスペースだ」

 成瀬が耳元でささやき、真理子は「わぁ!」とつま先立ちで首を伸ばした。
 その瞬間、立ち止まった成瀬の背中に、鼻先から顔をぶつけてしまう。

「お前なぁ……」

 ため息をつく成瀬の顔を、真理子は鼻を押さえながらじっと覗き込んだ。

「柊馬さん。工場の皆さんに、人気者なんですね」

 真理子はそんなつもりはなかったのに、少し嫌味っぽく口をとがらせてしまう。

「そうか?」
「だって、本社にいる時より、ずーっと優しい顔してるし……。その顔を知っている人が、他にもいたんだなって思うと、ちょっと……」

 真理子はついついそう言うと、下を向いた。

「まあ、現場の人たちは、大切だからな。話を聞きに来る機会も多いし……」

 成瀬はそう言いながらチラッと真理子を横目で見ると、すっと手を伸ばし真理子の頬をぎゅっとつねった。

「わっ……」

 真理子は驚いて身体をのけ反らせると、心臓をドキドキさせながら、つねられた頬に手を当てる。
 真理子がそっと、上目づかいで見上げると、成瀬は何事もなかったかのように、もう工場長の話に耳を貸していた。

 ――柊馬さんの中には、いつも佳菜さんがいる。わかってるのに……。私、やっぱりまだ、柊馬さんのこと……。

 真理子が小さくため息をついた時、成瀬が振り返った。

「ほら、行くぞ」

 その声に促されるように、真理子は工場内の奥の小さな事務所に入った。
 事務所は誰もおらずガランとしている。
 休憩室も兼ねているのか、向かい合わせになった長机が数台置かれていた。
 壁際の棚には電気ポットやカップが並び、その隣には書類の入った棚がいくつかある。
 その棚の奥、壁際の一番端に、ひっそりとパソコンが一台設置されていた。

「実は……」

 工場長は一旦辺りを確認してから、声をひそめて話を続ける。

「橋本さんには、ほとほと困り果ててたんですよ。こっちに配属されてから、一切工場に関わる仕事はせず、毎日ここに籠ってパソコンばかり。何をしてたんだか……」

 工場長は、「はぁ」と深くため息をつく。

「元は本社の営業部長でしょ? 誰も何も言えやしなくて……」

 工場長の話を聞きながら、成瀬がなぜ急にここへ来たのかがわかった。

 ――そうか。橋本部長は、ここに異動になってたんだ……。

 その時、工場長が入り口に向かって小さく手を上げた。

「あぁ、田中さん。ちょっと、ちょっと!」

 ちょうど入り口の前を通りかかった田中さんが、工場長の声に扉から顔を覗かせた。

「田中さんは、この工場では一番の古株で。ほら、橋本さんの事、聞きたいんだって」

 田中さんは工場長の声に渋い顔を見せると、「うーん」と首を振る。
< 72 / 101 >

この作品をシェア

pagetop