逆プロポーズではじまる交際0日婚! 〜狙うのは脚本家としての成功とXXX
「薫」

 海が見えてきた頃、ふいに蓮さんが口を開いた。

「母には……いつもの薫のままで接してくれれば、それでいいから」

 一瞬だけ私に向けられたその瞳には、どこか悲しげな影が差していた。胸の奥が、きゅっと締めつけられる。

 きっと、蓮さんとお母さんの間には、簡単には話せない何かがあるのだ。そうでなければ、彼がこんな表情をするはずがない。

 本当は、どこにでもいる恋人同士のように……ギアに置かれた蓮さんの手を、ぎゅっと握ってあげたかった。言葉にならない想いを伝えるために。

 でも、そんなことをしたら──蓮さんはきっと戸惑うだろうな。

 だから私は、手を握る代わりに、できるだけ明るい声で言った。

「ふふ、合点承知(がってんしょうち)(すけ)!」

 これはおばあちゃんの口癖だ。

 蓮さんはわずかに視線を落として、小さく微笑んだ。

 その笑顔を見た瞬間、胸の奥に小さな灯がともった。彼が笑ってくれる、たったそれだけで、こんなにもあたたかな気持ちになれるなんて。

 何の役にも立てなくても、笑わせるくらいはできる。彼の心が少しでも軽くなるなら、それだけで十分だ。

──たとえそれが、私に与えられた、たったひとつの役目だったとしても。
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