眠る彼女の世話係

いち

「なーつきっ!」
「うおっ」

 俺に後ろからいきなり抱きついてきた陸斗を、陽太が軽くたしなめる。

「こら陸斗、夏樹がびっくりしちゃうでしょ」

 えーっ、と不満そうな陸斗に、陽太は、もう大学生なんだからとぴしゃりと言った。
 陸斗と陽太は高校から続く大学の同級生だ。高校のときは一度しか同じクラスにはならなかったけど気があって、大学生になった今でもよく一緒にいる。

「ところで夏樹、昨日バイト初日だったでしょ、どうだったの」

 ついさっきまで忘れようとしていたことを思い出して、うげっと思わず声をあげそうになる。
 
「いや、まあ、うーん……」

 言葉をつまらせた俺に陸斗は目をらんらんと光らせて言う。

「あーっ、分かった、あれでしょ。また失礼なこといってお客さん怒らせたんでしょ」
「えっ、また?新しいバイトもすぐ解雇されたとか?」
「夏樹なら……うん、ありえるわ、御愁傷様、夏樹……」

 とんとん拍子に勝手に話を進められて、なぜか俺が憐れみの目を向けられている。

「勝手に話を進めるな!」

 ふたりの額にでこぴんを食らわせて、俺はため息をついて話し出す。

「『だれ、あんた』」

 陸斗と陽太はきょとんとして顔を見合わせる。

「失礼なこと言ったの俺じゃねぇよ!俺がそうやって言われたんだよ!」
 
 ふたりに笑われるだろうと覚悟していると、陽太は陸斗に待ったをかけて怪訝そうに尋ねる。

「待って、夏樹、なんのバイトするって言ってたっけ?」
「あ?ハウスキーパーだけど」
「……それさ、初めに家主に挨拶ちゃんとしたの?」
 
 くくくと陽太は笑いを堪えている。陸斗は話がつながったのか、ぶっと吹き出す。
 俺は何がなんだか分からなくて会話を反芻すると、陽太がいったい何を言いたかったのかに気がついた。その様子に陸斗はにやっと笑って俺を茶化した。

「名乗られてもいないのに、そりゃあ『だれ、あんた』って言いたくもなるわな!」

 俺はぶわっと顔を赤くした。恥ずかしい、なんで気付かなかったんだ?

「いや、でもちょっと、俺の言い分を聞いてくれ」

 はっと思い出して俺はふたりに弁解しようとする。そうだ、こっちには事情ってもんが……。

「よいぞよいぞ、聞こうではないか」
「なんでお前が偉そうなんだよ」

「いや、なんかさ、ずっと寝てるんだよ、その子」
「ん?その子ってことは子供?」
「子供ってほどではないけど……少なくとも俺らよりは年下だな、女子高生くらいか?」
「……夏樹、変なことしてない?大丈夫だよね?」
「大丈夫だよあほっ」

 ごほん、と咳払いをして俺は続ける。

「でまあ、その子ずっと寝ててさ、引き継ぎみたいなのやってくれたおばちゃんも起こさなくて良いって言うんだよ、それも悲しそうに」

 うーん、と考え込んだ俺に陽太はもしかして、と眉をひそめる。

「なんか病気で、もう長くない、とか……?」
「えっ……まじで……?」

 確かにそう考えれば合点がいく気もする。ベッドの上の彼女は、失礼かもしれないけど、とても健康そうには見えなかった。

「なんも聞いてないの?その子のこと」
「うん」
「その子の家族は?」
「知らん」
「じゃあ名前」
「……知らん」

 信じられない、と2人は俺を非難するような目で見る。

「いや、なん……だっけ、りる、は?とかだったと思うんだけど」
「へぇ」
「……なんでそんな冷たいへぇなのさ」

 陸斗はちょっと遠くを見て、目を潤ませて泣きつく。こいつまじで感情ジェットコースターだな……と思ったのはおそらく陽太もであるに違いない。

「だってぇ……おれの好きな小説家でりるはって名前の人いてさ、その人の小説におれめっちゃ救われてきてたのにさぁ、休止、しちゃったんだもん……」

 陸斗は陽太に差し出されたティッシュで鼻をかむ。陽太はあ、と思い出したように言う。

「ちょっと前に有名になってた人だっけ、俺は小説とか全然読まないから知らないけど。でも同名ってだけで関係ないんじゃね?」
「そうかもしれないけど思い出しちゃったんだもん……」

 俺と陽太は陸斗をよしよし、となだめた。時計を見て陽太はもういかなきゃ、と言い、最後に付け加える。

「とりあえずさ、今日もバイトなんでしょ?じゃあその子起きるまで待って聞いてみれば?いろいろ」
「おう……」

 うまくやれる自信がない俺をまるで嘲笑うみたいに、その日は快晴だった。
 

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