極氷御曹司の燃える愛で氷の女王は熱く溶ける~冷え切った契約結婚だったはずですが~

 手を口から離され、私はぜいぜいと呼吸を繰り返す。
 アメリカでないのは幸いだった、イギリスも日本同様、銃の規制が厳しい――けれど男が大振りのナイフを取り出したのを見て恐怖心が再び身体の自由を奪った。

『心配しないで。おとなしくしていれば、殺したりしないから』

 エミがにやっと笑う。

『わたしはてっきり、ムネユキは誰とも結婚しないと思っていたの。だから身を引いたのよ。なのに、結婚するだなんて。でもね、彼は結婚相手は誰でもよかったの。会社の利益になる相手ならね……』

 私は背後から男に両手首と足首を縛られながら、それでも必死で活路を探す。どうにか、どうにか逃げなくちゃ。
 頭に思い浮かぶのは、宗之さんのことばかり。
 会いたい。彼に会いたい……!

『入って』

 私が縛られたのを確認したエミが冷たく言うと、化粧室の入り口にリネンのカートを押した女性が入ってくる。目深に帽子をかぶっていて、表情は見えない。私は男に担がれ、リネンカートに放り込まれる。そのまま身体の上にシーツがばさばさと落ちてきた。
 私はすうっと息を吸う。

 廊下に出たら、すぐにでも大声で叫ぶ。
 シーツをはぎとっている間に、警備員が駆け付けるわ。それから待機してくれているボディーガードも!

『ああ、ミツカ。忘れてた』

 エミが歌うように言う。

『もしあなたがここで騒げば、あなたのお友達、みいんな無事じゃいられない……かもね』
『……え?』
『さっき紹介されたでしょ? わたしはね、製薬会社のCEO令嬢なの。どんな薬だって、その気になれば手に入るのよ。首元に振りかけただけで死んでしまうようなものだってね』

 ぞっとして目を瞬くまに、カートが動き出した。
 ああ、こういうものを警戒して、宗之さんは私にボディーガードをつけてくれていたのに、私は彼を車に置いてきてしまった。せめて廊下で待機にしていれば、私が戻らないことに違和感を覚えただろう。
 これは私の判断ミスだ。それも、致命的な。

「宗之さん……」

 心臓が絞られたような感覚に、大好きな人の名前を呼ぶ。そうするとぶわっと感情があふれ、ぼろぼろと涙がこぼれた。こぼれた涙は、全てシーツに吸い込まれていく。

◇◇◇

 カートごとバンに詰め込まれ、どれくらい走っただろうか。
 手脚の拘束を外そうともがいたせいで、擦れ血が滲んでいた。それでも丈夫な紐は外れてくれない。いっそ結束バンドだったなら外しようもあったのに……相手もそれくらいは知っていたのだろう。
 シーツの中でもがいたせいで、髪の毛もぐちゃぐちゃだった。車が止まるやいなや、シーツをはぎとられエミにつかまれたせいで、あまり関係なかったけれど。

『いた……っ』
『泣いていたの? かわいそう』

 心にもないことを言い、エミは私からパッと手を離し歩き出す。
 私はあたりを見回した。

「森……」

 日本語でつぶやくと、さっきの男がまた私を担ぐ。ゆらゆらと揺られながら、それでも逃げ道を探す。夕焼けに染まる木々の合間で鳥が鳴き、ばさばさと飛んでいくのが分かった。川の音もする。
 ここは一体どこなのだろう。鬱蒼とした森の奥に、ふと開けた場所が見えた。屋敷が建っているのも……あそこに監禁するつもり?

『エミ。何をするつもりなの』
『あら、ごめんなさい。説明を忘れていたわ』

 うっかり、とエミは笑う。

『ムネユキの結婚相手は誰でもいい。ならわたしでもいいはず。じゃああなたちには離婚してもらわなくっちゃ』

 エミは屋敷の門扉を開き、こちらに目を向けず続ける。まるでオペラの主役(タイトルロール)にでもなったかのように、歌うように。

『でもどうやって? そうね、妻の不貞っていうのは……どう?』

 私が眉を顰めるのと、屋敷の扉が内側から開くのとは同時だった。

『……サイラス?』

 私は担がれたまま、呆然と大嫌いな同級生の名前を呼ぶ。
 サイラスは本当にうれしげに頬をゆるめ、きらきらとした瞳を私に向けてくる。

『ああ! よかった、本当に連れてきてくれるだなんて!』

 男は私を担いだまま玄関ホールに入る。
 二階建ての屋敷の玄関ホールには、大きな採光窓がひとつ。ほかの窓は侵入防止のためだろう、格子が嵌っていて逃げ出せそうにない。おそらく雪対策で作られたと思しき玄関横の暖炉に火は入っていない。火かき棒が冷えたそこに立てかけてあった。
 ぎい……とエミが扉を閉め、外の音が消える。

『ね? うまくいったでしょう』
『ありがとう、エミ。君に話を持ち掛けられたときは半信半疑だったけれど……ああ、ミツカ……』

 サイラスは男から私を人形でも扱うかのように受け取り、うれしげに髪を撫でた。

『ああ、僕のミツカ。よかった返ってきた』
『触らないで!』

 ひどく汚らわしいことをされている気がして私は声を荒らげる。そんな私を見下ろしながらエミは嗤笑した。

『寝室にはとっても寝心地のいいベッドを用意してあるわ。そこで元恋人と睦あうあなたの動画を撮って、ムネユキに送ってあげる! 愛がないとはいえ、そんなものを見せられたら、さすがに離婚を選ぶでしょう』
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