野いちご源氏物語 一四 澪標(みおつくし)
<明石には姫の乳母にふさわしい女性はいないだろう>
と源氏の君はお思いになる。
「誰か心当たりはないか」
と女房たちにお尋ねになると、ひとりが、
「内裏の女官の娘で、子を産んだばかりなのに頼る人がいなくて困っている女性がおります」
と申し上げた。
「そなたが会いにいって、姫の乳母にふさわしいかどうか見てきておくれ。明石に行ってもらうことになるから、そのことも正直に伝えて、それでもよいということなら契約してくるように」
とお命じになる。
乳母候補の女性はまだ若くて、とくに深い考えがある人でもない。
両親の亡くなった実家でひっそりと赤ちゃんを育てる生活が心細くて、すぐに、
「明石に参ります」
とお返事したわ。
<源氏の君のご関係の職場なら、しっかりしていて安心だろう。田舎に行ったとしても、今の暮らしよりずっといいはずだ>
くらいに思っていたようね。
源氏の君はこの若い母親を気の毒に思って、出発の日、こっそりと家を訪問なさった。
「明石に参りますとお返事いたしましたが、いよいよ出発となると、やはり都を離れることがためらわれます」
と弱気になっているの。
源氏の君はなぐさめておやりになる。
「今日は縁起の良い日だから出発を延期させたくない。思いやりがないと思うかもしれないが、我慢して出発しておくれ。私は明石の姫に特別な期待をしているのだ。都を離れるのはつらいだろうが、私も明石で苦しんだ時期があった。それでも今はこうして都に戻り、昔以上の暮らしをしている。自分もそうなるのだと考えて、しばらく耐えてほしい」
乳母は、
「かしこまりました。仰せのままにいたします」
と言って、支度を始めたわ。
源氏の君は以前、この乳母を内裏で見かけたことがおありだった。
乳母の母親が女官をしていたから、ときどき一緒に働いていたのね。
源氏の君が覚えていらっしゃるということは、美しい人だったのよ。
でも今は、ひとりで赤ちゃんを育てる苦労でやつれてしまっている。
実家はあるけれど両親はもういない。
その実家も、それなりの身分の貴族だった父親の屋敷だから立派ではあるのだけれど、すっかり荒れ果てている。
やつれてはいても、かつての若々しくてかわいらしいところは残っているわ。
源氏の君は冗談めかして、
「明石には行かせたくないな。二条の院で仕えてもらおうか」
とおっしゃる。
乳母は、
<どうせ源氏の君のために働くなら、明石ではなく二条の院で働いて、たまにかわいがっていただきたい>
と思ってしまう。
「私たちは深い仲ではなかったけれど、お別れとなると悲しいものだ。あとから追いかけたくなるだろう」
とおっしゃると、乳母はかわいらしく笑って、
「それは私ではなく、明石の御方にお会いになりたいだけでございましょう」
と、もの慣れた様子でお答えする。
源氏の君は、
「言うではないか」
と華やかにお笑いになった。
源氏の君は、乳母のために乗り物とお供を用意なさった。
姫君への贈り物として、御守りの飾り刀など必要なものをたくさんお持たせになる。
乳母にも十分なご褒美をお与えになったわ。
源氏の君は明石の入道のことを想像なさっていた。
<さぞかし姫をかわいがっているだろう>
とほほえんでいらっしゃる。
ただ、姫君が田舎でお育ちになっていることは残念にお思いになる。
明石の君へのお手紙に、
「ぞんざいにお育てしてはいけませんよ。いつになったら姫をこの手に抱けるだろう。姫の健やかな成長を都から祈っています」
とお書きになって、乳母にお預けになる。
乳母は船や馬に乗り換えながら、明石に到着したわ。
と源氏の君はお思いになる。
「誰か心当たりはないか」
と女房たちにお尋ねになると、ひとりが、
「内裏の女官の娘で、子を産んだばかりなのに頼る人がいなくて困っている女性がおります」
と申し上げた。
「そなたが会いにいって、姫の乳母にふさわしいかどうか見てきておくれ。明石に行ってもらうことになるから、そのことも正直に伝えて、それでもよいということなら契約してくるように」
とお命じになる。
乳母候補の女性はまだ若くて、とくに深い考えがある人でもない。
両親の亡くなった実家でひっそりと赤ちゃんを育てる生活が心細くて、すぐに、
「明石に参ります」
とお返事したわ。
<源氏の君のご関係の職場なら、しっかりしていて安心だろう。田舎に行ったとしても、今の暮らしよりずっといいはずだ>
くらいに思っていたようね。
源氏の君はこの若い母親を気の毒に思って、出発の日、こっそりと家を訪問なさった。
「明石に参りますとお返事いたしましたが、いよいよ出発となると、やはり都を離れることがためらわれます」
と弱気になっているの。
源氏の君はなぐさめておやりになる。
「今日は縁起の良い日だから出発を延期させたくない。思いやりがないと思うかもしれないが、我慢して出発しておくれ。私は明石の姫に特別な期待をしているのだ。都を離れるのはつらいだろうが、私も明石で苦しんだ時期があった。それでも今はこうして都に戻り、昔以上の暮らしをしている。自分もそうなるのだと考えて、しばらく耐えてほしい」
乳母は、
「かしこまりました。仰せのままにいたします」
と言って、支度を始めたわ。
源氏の君は以前、この乳母を内裏で見かけたことがおありだった。
乳母の母親が女官をしていたから、ときどき一緒に働いていたのね。
源氏の君が覚えていらっしゃるということは、美しい人だったのよ。
でも今は、ひとりで赤ちゃんを育てる苦労でやつれてしまっている。
実家はあるけれど両親はもういない。
その実家も、それなりの身分の貴族だった父親の屋敷だから立派ではあるのだけれど、すっかり荒れ果てている。
やつれてはいても、かつての若々しくてかわいらしいところは残っているわ。
源氏の君は冗談めかして、
「明石には行かせたくないな。二条の院で仕えてもらおうか」
とおっしゃる。
乳母は、
<どうせ源氏の君のために働くなら、明石ではなく二条の院で働いて、たまにかわいがっていただきたい>
と思ってしまう。
「私たちは深い仲ではなかったけれど、お別れとなると悲しいものだ。あとから追いかけたくなるだろう」
とおっしゃると、乳母はかわいらしく笑って、
「それは私ではなく、明石の御方にお会いになりたいだけでございましょう」
と、もの慣れた様子でお答えする。
源氏の君は、
「言うではないか」
と華やかにお笑いになった。
源氏の君は、乳母のために乗り物とお供を用意なさった。
姫君への贈り物として、御守りの飾り刀など必要なものをたくさんお持たせになる。
乳母にも十分なご褒美をお与えになったわ。
源氏の君は明石の入道のことを想像なさっていた。
<さぞかし姫をかわいがっているだろう>
とほほえんでいらっしゃる。
ただ、姫君が田舎でお育ちになっていることは残念にお思いになる。
明石の君へのお手紙に、
「ぞんざいにお育てしてはいけませんよ。いつになったら姫をこの手に抱けるだろう。姫の健やかな成長を都から祈っています」
とお書きになって、乳母にお預けになる。
乳母は船や馬に乗り換えながら、明石に到着したわ。