あの桜の木の下で
池田屋事件から数日が経ち、京の街は一見して何事もなかったかのように静けさを取り戻していた。しかし、その裏では新選組の隊士たちの間に、あの激闘が残した余韻が色濃く残っていた。

事件の翌朝、血で染まった池田屋の床に横たわった倒れた志士たち。その無惨な光景を目の当たりにした新選組の隊士たちは、それぞれに異なる感情を抱えていた。

総司は静かに刀を拭いながら、しばらくの間何も言わずに黙っていた。普段は冷静な彼女も、あの戦いの後、心の中に重いものを感じていたのかもしれない。

「春樹……あれは、必要な戦いだったんだよね?」

総司がぽつりと口を開いた。

「そうだよ。」俺は答える。「でも、俺たちにとっても痛みを伴う戦いだった。」

「うん。」そうちゃんは少しだけ頷いた。

「けど、これで新選組の名はさらに広がっただろう。あの池田屋での戦いは、確実に幕府にとっても大きなメッセージになった。」

「……そうだね。」

俺はその言葉にうなずきながらも、心の中では何かが引っかかっていた。確かに、新選組としては重要な一戦だった。しかし、それでもあの戦いの後に残るものが多すぎた。

事件が終わり、新選組は再びその任務を続けることになった。だが、近藤さんや土方さん。それにそうちゃん達はそれぞれに違った思いを抱えていた。

近藤さんはは会議で、新選組の戦果を称賛されたものの、彼の顔にはどこか安堵と共に、深い疲れが見え隠れしていた。池田屋での戦いの後、新選組に対する評価は高まったが、同時にその重圧も増していった。

「春樹、どうだ?気持ちは落ち着いたか?」

近藤さんが俺に声をかけた。

「まだ、完全には。」

俺は少しだけ首を振る。

「でも、やらなければならなかった戦いだった。結果的に俺たちが勝った。それだけだ。」

「その通りだな。」

近藤さんは静かに微笑んだ。

「俺たちの道は、これからも続く。これからも、新選組として生きていく。」

その言葉を聞いて、俺は心の中で何度も繰り返した。確かに、新選組の道は続く。しかし、どこまで続くのか、誰にも分からない。池田屋事件のような戦いが、これからも待ち受けているかもしれないということを、俺たちは誰よりも感じていた。

そして、あの池田屋の後日、しばらくは京の街に新選組の名が轟いた。だが、次第にその名が恐れと共に広まり、我々に課せられた任務もまた、重く、辛くなっていった。

戦いの先に何が待っているのか、それを誰も知らなかった。だが、新選組の道を歩み続けるしかない。俺たちはその覚悟を持って、また新たな戦場へと進んでいった。

そして、とある日、新選組の屯所に戻った時。俺はそうちゃんが倒れているのを見つけた。最初は気づかなかったが、ふと気配を感じて振り向くと、彼が床に膝をついている。顔色が悪く、いつもよりも蒼白だ。

「総司!」俺は駆け寄り、彼の肩を支えた。

「……はるくん。」そうちゃんはいつも通り冷静な声で俺を呼んだが、その声にはいつになく弱々しさが滲んでいた。

「こんなところで何してるんだ!」

俺が慌てて問いかけると、総司は少し微笑みながら、軽く手を振った。

「大丈夫だよ。ただ、少し立ちくらみがしただけ。」

だが、俺の目に映る彼の姿は、どうしてもそれだけでは納得できなかった。総司の体はふらつき、顔色も明らかにおかしい。

その瞬間、彼が口を開いた。

「……ちょっと、吐き気がして。」

言いながら、彼は手で口を押さえた。次の瞬間、彼の唇から、真っ赤な血がこぼれ落ちた。俺は思わずその場に立ち尽くす。

「……!?」

総司の顔に一瞬驚きと苦しみが浮かぶ。その目を見た瞬間、俺の胸が締め付けられるような思いになった。

「そうちゃん!」俺はさらに強く支えながら言った。「どうして、こんな……」

「心配しないで……」

総司はうっすらと微笑んだ。

「ただ、ちょっと無理をしてただけだよ。」

だが、その言葉とは裏腹に、そうちゃんの体はまだ震えていた。何度も深く息を吐くたびに、その血が口元から垂れ落ち、彼女の顔色はますます青白くなっていった。

「お前……!」

俺はそうちゃんらを抱きかかえ、急いで寝室へと運んだ。今までの彼女には見せたことのない弱さを感じ、胸が苦しくてたまらなかった。

その後、近藤さんや土方さんもすぐに駆けつけ、そうちゃんの様子を見守った。近藤さんはすぐに手当てを施し、土方さんも心配そうに顔を見合わせていた。

「これは……普通の疲れじゃないな。」近藤さんはしばらくそうちゃんを見つめ、重々しく言った。「総司。最近、無理をしてたのか?ほら。池田屋もあっただろう?」

「……池田屋で、頑張り過ぎたんですかね……」そうちゃんは微かに答えた。「でも、大丈夫ですよ。近藤先生。私はまだ、戦えますから。」

「無理をするな。」土方さんが厳しい口調で言う。「お前の命があってこその新選組だ。無茶をして死んだりしたら、俺たちの手で葬るぞ。」

そうちゃんはその言葉に小さく笑みを浮かべたが、その表情にはどこか寂しさが漂っていた。

「私のことは、心配しないでください。新選組のために、まだまだやらなきゃいけないことがありますから!」

その言葉を聞き、俺はそうちゃんの手をしっかりと握った。こんなにも冷たくなった手を握りながら、俺は心の中で誓った。どんなに辛いことがあっても、そうちゃんを守り抜くと。

それが、俺たち新選組の絆だと思ったから。
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