歪んだ月が愛しくて1



「お前は怖いのか?」

「怖い?」

「だから聞いたんじゃねぇのか?」



ああ、そう言う風に捉えたのか。

何とも見当違いな発想だ。



「別に怖くないよ。俺だって男だし喧嘩なんて見慣れてるから…」

「見慣れてる?」



俺の不用意な発言に会長は再び疑問を抱く。
それもそのはずでオタク眼鏡の姿からは喧嘩なんて想像も出来ないだろう。



「べっ、別に深い意味はないよ。ただ知り合いが昔やんちゃしてたんで、それで…」

「………」



嘘は言ってない。
本当のことも言ってないが。



「怖いものなんて、もうないから…」



全部置いて来た。

もう俺には何もない。

大切なものも、かけがえのない彼等も。



『…ごめん、シロ……』



全てあの日に置いて来てしまったから…。



「……顔、引き攣ってるぞ」

「、」



その声に顔を上げると会長の顔がすぐそこにあった。



「怖いもんがあって何が悪い。誰だって何かしら持ってんだ。変な意地張ってんじゃねぇよ」

「い、じなんて…」



意地なんて張ってない。

だって本当にもうないんだ。

怖いものも、大切なものも。



全て置いて逃げてしまった俺に、そんなもの…、



「何が怖い?」

「っ、はぁ?だから、そんなもんねぇって…」



一瞬、見透かされたかと思った。
心の奥底にしまったものを暴かれる感覚は酷く不快で平然を装うのに精一杯だった。



「お前、嫌いな食い物はあるか?」

「……何、唐突に」

「あるのか?ないのか?」

「ある、けど…」

「それと一緒だ。大抵の人間は食い物の好き嫌いがあるし、それを克服出来る人間もいれば嫌いなままの人間もいる」

「………だから?」

「嫌いな食い物は素直に言えるくせに怖いものは言えねぇんだな。ビビってんのか?」

「だっ、誰がビビリだ!?」



カッと、頭に血が上る。

でも会長に言われたことは強ち間違いではなかった。



怖いものはあった。

何者にも代えられない大切なものを手放すことが怖かった。



失いたくなかった。

ずっと一緒にいたかった。



でも自分の手でそれを壊してしまった。



大切なものを…、かけがえのない彼等を傷付けて置きながら自分だけ逃げ出した。



「ハッ、今まで生徒会室に来なかったくせにか?」

「そ、れは…、行く理由がなかったからで…。仕事があるならちゃんとやるし…」

「生徒会に入った以上原則放課後は生徒会室に顔を出せ。お前の仕事はその都度指示する」

「……だから、これからは行くって」



だから、もう怖いものはない。



大切なものは全て手放した。



それなのに…、



不意に鋭い黒曜石と目が合った。
すると会長は口角を上げて俺に向かって手を伸ばした。



「それでいい」

「っ、」



その姿に心拍数が上昇する。
まるでこんな俺でもいいと言われているみたいで淡い期待が脳裏に過ぎる。
そんな自分が死ぬほど嫌で途端に羞恥心に襲われた。
恥ずかしさに頭を振って思考を掻き消していると不意に会長の手が俺の髪を掻き乱した。
その手を振り払いたくても身長差には勝てず、俺は会長の手を掴んで無理矢理その動きを封じた。



「な、にがいいんだよ!勝手に人の髪触んな!近い!」

「標語か?」

「標語じゃねぇよ!バカにしやがって!アンタ何様のつもりだ!?」

「何って、―――王様?」



ブチッと、血管が切れそうになったのは言うまでもない。



「っ、……こっの、バカキング!!」



不敵な笑みと共に癪に障る一言を残して先を歩く金色の王様にまるで映画の中の小悪党のような罵声を投げ付ける。
咄嗟にそんな言葉しか浮かんで来なかった自分が情けない。



会長に触れられた頭が熱い。
鼓動が早いのはきっと滾る怒りのせいだ。
やり場のない憤りを噛み締めながら踵を返し早足で生徒会室に向かった。















まだ、捨てられない。



淡い幻想が消えてくれない。


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