歪んだ月が愛しくて1
「立夏くん…」
顔を上げられない。
九澄先輩の目が見れない。
頭上から溜息が聞こえる。
きっとこんな俺に呆れているに違いない。
こんな奴だとは思わなかった。
こんな奴だったら生徒会に誘わなければ良かった。
そう思われても仕方ない。……仕方ない、けど。
「背負ったつもりはありませんよ」
湿った空気を震わせて九澄先輩の声が耳に届く。
その声色が逆に俺の身体を震わせた。
「これは僕の責務ですから」
「せき、む…?」
その言葉に思わず顔を上げた。
見上げた先にいた九澄先輩は困ったように微笑んだ。
「……まだ、立夏くんには僕の家のことを話していませんでしたね」
以前哀さんと頼稀から聞いたことがある。
九澄先輩の実家が表御三家の皇財閥で九澄先輩のお祖父さんが聖学を作った張本人だと言うことを。でもそれだけだ。それ以外のことは何も知らない。
「僕の家が表御三家の皇財閥と言うのは…」
「知ってます」
「ではここの創設者が僕の祖父だと言うことは?」
「それも聞きました。ざっくりですけど」
「ざっくりですか…。立夏くんはこちら側のことに興味ありませんもんね」
こちら側なんて…。
そんな線引きするような言い方が九澄先輩の心情を表しているように思えた。
九澄先輩は俺に何を話そうとしているんだろうか。見当も付かない。
でも九澄先輩の表情から察するに良い話ってわけじゃないと思う。
少なくとも自分から進んで話すようなことじゃないはずだ。
それなのにどうして俺なんかに…。
「皇は代々学園の創設や運営に関わって来ました。その中の一つが聖楓学園です。聖学は祖父の代で創設され、それ以降皇の人間は代々聖学に入学する習わしでした。だから僕も聖学に入学したんです、中等部2年の時に」
「中2?」
何でそんな中途半端な時期に?
九澄先輩は曖昧な言葉を残して苦笑する。
……ああ、その顔。
その表情から読み取れたのは決意と疑心。
やっぱり九澄先輩は俺に何かを伝えようとしている。
でも俺にそれを聞く権利が本当にあるのだろうか。
きっとそれは九澄先輩の心の澱。
俺が安易に踏み込んでいい領域じゃない。
だったら俺は…―――。
「僕は…」
「ス、ストップ!」
咄嗟に声を上げて九澄先輩の口元を両手で覆った。
「……待って、下さい」
……本当に、聞いてもいいのだろうか。
それを聞いて俺に何が出来るんだろうか。
「待って…」
「………」
……分からない。
自分が何をしていいのか、何をするべきなのか。
こう言う時、何て言うのが正解なんだろう。
教えて。
誰か、誰でもいいから教えてよ。
「―――踏み込んでくれないんですか?」
「え、」
踏み込む?
「尊が怪我をした時はあんなに心配していたのに、僕のことは気に掛けてくれないんですか?」
「っ、そんなこと…」
九澄先輩のことを気にせずにいられたら初めから捜したりなんかしないし、こんなにも九澄先輩のことで悩んだりしない。
見たくないんだよ。
困ったような笑顔も、あからさまな線引きも。
でも俺には何も出来ないから。
何も…、
「何を躊躇っているんですか?」
……ああ、そうか。
「僕、こう見えても待ってるんですよ」
俺…、迷ったんだ。
自分は踏み込んじゃいけない位置にいると思って。
気持ちも覚悟も中途半端で、だから生徒会室を去った九澄先輩に声を掛けることが出来なかった。
それなのに九澄先輩はそんな俺を待っていてくれた。
今だって俺が踏み込み易いように無防備に心の内を開放してくれている。
それでも俺は何もしない?
ただ指を咥えて待ってるだけ?
……腑抜けかよ、俺は。
「……お待たせ、しました」
踏み込もう。
覚悟とか、決意とか、そんな大層なものはまだないけど。
でもきっと後悔はしない。
何となくそんな気がするから。
「教えて下さい」
九澄先輩のことを。
こんな俺に何が出来るのか。