歪んだ月が愛しくて1
「こうなったらとっとと終わらせて帰るぞ」
その言葉を合図に俺達は部屋の掃除に取り掛かる。
紀田先生に渡されたエプロンを頭から被りよしやるかと意気込んで目線を下に向けた瞬間、思わず自分の目を疑った。
「……何でクマ?嫌がらせ?」
「趣味悪ぃな」
「そう言ってスマホこっちに向けてんじゃねぇよ」
カメラのシャッター音を無視して頼稀に背を向けたまま本棚の整理を始めた。
エプロンにあっては羞恥心に耐えて気にしないことにした。
「頼稀、さっきのことなんだけど」
「人質にされた西川に大して怪我はなかったぞ。掌に擦り傷程度はあったがな」
「そっか…」
西川くんに大事がなくて良かった。
「侵入者の方は“B2”に任せろ。今頃アゲハさんが可愛がってるはずだ」
「可愛がるって…」
「聞くな。お前のためだ」
ヒクッと、無意識に口元が引き攣る。
本当に“B2”に任せて良かったんだろうか。
覇王に任せた方が穏便に済んだかも。
「他に聞きたいことは?」
「………」
聞きたいことはない。
でも言いたいことならある。
「さっきはごめん」
ずっと言わなければいけないと思っていた。
「俺の勝手な判断で危ないことに巻き込んだ…」
「………」
俺は一旦作業の手を止めて頼稀と向き合う。
正面にある頼稀の顔は眉を顰めた険しいものだった。
「……謝る理由が違ぇよ」
頼稀は「ごめん」の意味を理解していた。
きっと俺がこのタイミングで話を切り出すと分かっていたんだろう。
「危ないことに巻き込んだ?危ねぇこと上等。俺を誰だと思ってる。そんなくだらねぇことで一々謝んじゃねぇよ」
「くだらなくなんか…「俺は怒ってる」
「、」
俺の言葉を遮って頼稀は端的に言う。
「でも俺が怒ってんのは巻き込まれたからじゃない。お前が自分を大切にしないからだ」
「た、いせつ…?」
意味が分からない。
「その“意味が分からねぇ”って顔。何でお前はいつも自分を一番に考えられねぇんだよ…」
クシャクシャと、頼稀は右手で自分の前髪を掻き上げる。
イライラしてんのがよく分かる。
「……勘違い」
「あ?」
頼稀は間違ってる。誤解している。
「俺にとっての一番は自分だよ」
いつだってそう。
だからあの時だって俺は―――、
「勘違いしてんのはお前の方だ」
思考を遮る低い声に視線だけを上げる。
「お前にはもっと自分を大切にして欲しい。ただ、それだけなんだ…」
「………」
何も言えなかった。
頼稀の言葉を否定することも肯定することも出来なくて、俺は後ろめたい気持ちを隠すように頼稀に背を向けて作業に取り掛かった。