歪んだ月が愛しくて1
「何だ、意外に反応薄いな」
紀田先生はつまんなそうに口元を窄める。
「そんなことないよ。ただ先生が来た時点で嫌な予感がしてたんで」
「俺とアイツをセットみたいに言うなよ」
そう言いながら紀田先生はリビングの方までやって来て俺の隣に座った。
「何寛いでんだよ。用が済んだらとっとと出て行け。俺はまだコイツに話があんだよ」
「、」
頼稀の言葉に何となく身構える。
多分それは俺がこれ以上頼稀の話を聞きたくなかったからだ。
「へー…、でもそれは無理だわ」
「は?」
「アイツが立夏を呼んでる。それで俺が呼びに来たってわけだ」
「アイツが…」
「……俺がすんなり引き渡すと思ってんのか?」
「いや。でもお前が引き渡せねぇと後で大変なのは立夏だぞ」
「、」
「それに立夏を連れて来るまでは仕事しないとか言ってストライキ中なんだわ、現在進行形で。哀さんも可哀想にな」
「アイツ、またそんなこと…」
「仕事を人質にして立夏を生贄に捧げなきゃいけないなんてな。アイツの我儘には哀さんも苦労してるんだよ」
あの野郎が考えそうなことだ。
哀さんの立場を利用してその上で俺の思考までも操って、何もかも自分の思い通りにならないと気が済まない暴君。それがあの男だ。
「……最低」
「本人に言ってやれよ。アイツにとってはお前の言葉が一番効くんだからよ」
「何それ?」
誰が言ったって一緒だと思うけど。
「まあ、そう言うわけだから立夏のこと借りてくぞ」
「ふざけんな。勝手なことしてんじゃねぇよ」
「でも当の本人は行く気みたいだぞ」
頼稀の視線を感じる。
頼稀が言いたいことは何となく分かる。
でも俺のせいで哀さんに迷惑が掛かるなら行くしかない。
その時、安っぽい音が放送口から流れた。
『あー…』
っ、この声は…、
「文月か」
嫌な予感しかしない。
『1年C組の藤岡立夏に告ぐ。今すぐ愛しの理事長様のところ来い。5分以内に来なければ犯す』
……は?
あの野郎、正気か?
こんな誰が聞いてるか分からない状況で名指しするなんてどう言うつもりだ。
「お前も大変だな」
「他人事かよ」
「俺だって学生の時は嫌ってほど味わったさ。それでどうすんだ?」
「……行くよ」
これで行かなかったら後々面倒なことになるのは確実だ。
だったら面倒なことは一度で済ませてやる。
「待て」
俺がソファーから立ち上がると不意に頼稀に腕を掴まれた。
「大丈夫。すぐ戻って来るから」
「……さっきの話、真剣に考えて置いてくれ」
「………」
「立夏」
「……分かった」
俺の腕を掴む頼稀の力が段々と緩められる。
未だ納得出来ないって顔の頼稀に内心溜息を吐いて俺は半ば諦めた気持ちで管理人室を飛び出した。