歪んだ月が愛しくて1
誰も、何も言わない。
でも皆が俺を見ていることは気配で分かった。
特に事情を知らない覇王は村雨の発言の真偽を確かめたいはずだ。
それなのに誰も話を蒸し返さないと言うことは気を遣っているのだろう。
「立夏、歩けるか?」
この男以外は。
「保健室に行くぞ」
そう言って俺の手を取り一歩踏み込んだ会長の腕を俺は乱暴に振り払った。
会長はそんな俺の態度に驚いた顔一つ見せなかった。
それどころかまるで予想していたかのような会長の態度に苛立ちを覚える。
会長の言葉を無視して出口に向かおうとした時、俺は会長に手首を掴まれたせいでそれ以上先に進むことが出来なかった。
「……放して、下さい」
自分のものとは思えないか細い声に反吐が出る。
「どこへ行く?」
「会長には関係ない」
「関係ないだと?」
「ないでしょう。だって俺がどこで何してたって会長が気にすることじゃないんだから」
早く、早く。
ここから逃げないと。
あの色がちらつく。
あの色が俺をあの日に引き摺り込もうとする。
「だからもう放って置いて下さい」
そう言って再び会長の手を振り払おうと試みるが会長の拘束は更に力を増す。
「端から放って置けたら態々追い掛けたりするかよ」
ギリギリと、それに比例するかのように胸が痛んだ。
「放して…、」
瞬間、グッと腕を引かれた。
反転した身体は会長の腕の中にすっぽりと収まった。
「やめっ、放せ!」
「断る」
身動きが取れないもどかしさに声を荒げると頭の中がグラグラした。
「放せよ!」
「断ると言ったはずだ」
「はなっ…「煩ぇ」
感情に任せて乱暴に会長の胸を押し返す。
でも俺より体格の良い身体はビクともしなくて会長は少しの隙間も許してくれなかった。
ああ、イライラする。
思考がグルグルして考えが纏まらない。
「頼むからっ」
嫌だ。いやだ。
もう何も考えたくない。何も見たくない。
目に見える全てのものが、耳に届くあの声が、何もかも嫌で嫌で堪らない。
「もう、放してよ…っ」
弱々しく搾り出した声は俺達しかいない廊下に虚しく響いた。