歪んだ月が愛しくて1
水面下
文月Side
ガチャ
理事長室のドアが開く。
断りもなく入って来た哀は予想だにしない俺の姿にピタッと動きを止めた。
「……申し訳ございません。戻られていたとは思わなかったもので」
そんなことはどうでも良かった。
俺は平常心を取り戻すために胸ポケットから愛用のキャスターを取り出して火を点けた。
「村雨は?」
その名前を口にしただけで先程の光景が鮮明に蘇る。
今思い返しても腑が煮えくり返そうだ。いや、それ以上の感情が沸々と沸き上がる。
この衝動に身を委ねて感情を剥き出しにしてしまえばどんなに楽だろうか。
「立夏様にあのようなことをしたのです。ただで済ませるはずがありません。奴には相応の報いを受けてもらいます」
でもそれをしないのはお前が俺の代わりにリツへの想いを包み隠さず吐き出してくれるからだ。
「その身を持って」
―――哀。
お前は、ずっとそうだったな…。
融通が利かないクソ真面目で、感情を曝け出すのがド下手な鉄仮面で、見た目以外は女らしさの欠片もない哀だが、それでもリツのことになると人間らしく喜怒哀楽の感情を曝け出すことが出来た。
押さえたくても押さえられない感情が溢れ出てしまうんだろう。
だからこそ俺は自分自身を保つことが出来た。
何よりも大切でかけがえのない者を傷付けられて自分を見失いそうになっても、お前が俺の気持ちを代弁してくれるから俺は「リツの大嫌いな鏡ノ院文月」でいられるんだ。
「奴の処分はお前に任せる。……但し、殺すなよ」
「……はい」
哀は少しの間を置いて渋々承諾した。
その顔は俺の言葉に納得していないことを物語っていた。
「いいか。今のお前は“哀”なんだ。自分の立場を忘れるな」
「心得ております」
本当に分かっているのか怪しいものだ。
この女はリツのためなら平気で人を殺す。
“哀”と名付けたこの女はそう言う人間なのだ。
「立夏様はどちらに?」
「保健室」
「付き添われなくて宜しかったのですか?」
「宜しくねぇよ」
「では…」
出来るだけリツを独りにはしたくない。
でも今のリツは独りじゃない。
「……今は、覇王がいる」