歪んだ月が愛しくて1

平和的解決




「会長?何で、ここに…」



何かの間違いかと思った。
だって会長がこんなところに来るはずがない。
俺を訪ねて来る理由なんてないはずなのに。



「俺が来たら不都合なことでもあるのか?」



その言葉で間違いでないことを確信した。

そして目の前にいる王様が本物だと言うことも。



「そんなことないけど、何か吃驚して…」



でも本物だとしたら用件はなんだろう。
普段からコーヒーを淹れるくらいしか庶務の仕事をしてないから会長が何の用件で俺を訪ねて来たのか皆目見当も付かなかった。



不意に会長は手に持っていた紙袋を無言で俺の目の前に差し出した。



「何これ?」

「良い豆が手に入った」

「………それで?」

「お前、部屋でもよくコーヒー飲むって言ってただろう」

「そうだけど…、覚えてたの?」

「……偶々だ」

「もしかして…、これ俺に?」

「他に誰がいる」



う、そ…。

あの会長が?俺に?



……この人、本当にあの神代尊か?



「本物…?」

「偽物に言えるのか?」

「見えないから聞いてるんですよ」

「じゃあ本物ってことだろう。いいから受け取れ」

「でも…、いいんですか?会長だってよくコーヒー飲んでますよね?」

「貰いもんだ。生憎俺好みの豆じゃなかったからな」



そう言って会長は半ば強引に紙袋を押し付けた。
ここまで言ってくれてるのに突き返すことも出来ず会長の言葉に甘えて紙袋を受け取ることにした。



「ありがと、ございます…」

「処分に困っただけだ」



(つまりいらないものだからくれたってこと?)



それでもこちらとしては有難かった。
会長ほどではないとは言え俺も毎朝コーヒーを飲むから貰って無駄になるものじゃないし、何より自分で買う手間が省けるから助かる。
それに会長から何か貰うのは初めてだから少し嬉しかったりもする。まあ、どうせ王様の気まぐれだろうけど。



ふと会長を見上げると、何故か顔を逸らされた。



え、俺何かした?



そんな疑問が浮かんだと同時にその姿が何だか子供っぽくてつい口元を手で覆った。



「……何笑ってんだよ」

「べ、別に、笑ってなんかいないよ?………ぷっ」

「おい」

「だ、だって、何か会長が子供っぽく見えちゃって、つい…っ」

「誰がガキだ。お前だけには言われたくねぇよ」

「あ、それは聞き捨てならない。俺のどこがガキだって言うわけ?」

「そうやって一々ムキになって突っ掛かって来るところ」

「別にムキになんて…」

「そうか?」



会長はグッと顔を近付けて悪戯に笑みを浮かべる。普段は滅多に笑わないくせに。
そのまま俺の身体を室内に押し込んで壁へ壁へと追い詰めていく。



「ちょ、ちょっと…っ」



そして俺の顔の横に怪我をしていない方の手を付き、不格好に少しだけ開いた足と足の間に自身の右足を出した。

何、この体勢…?



「説得力ねぇな」

「っ、」



まるで逃がさないと言われているような体勢に羞恥心が込み上げて来て咄嗟に会長を見上げた。
その表情は先程までの年相応ものではなく無駄に大人っぽい妖艶な雰囲気を醸し出していた。



「顔赤いぞ」

「だ、誰のせいだと…」

「俺か?」



アンタ以外に誰がいんだよ!

どう言うつもりか知らないが喧嘩売ってるなら買うぞ?返り討ちにすんぞ?



「……林檎みてぇだな」

「は?林檎って…」



会長は俺が言い終わる前に俺の首筋に顔を埋めた。
いつの間にか壁に付いた会長の手は俺の髪を梳いて時折厭らしい手付きで耳たぶを撫で回す。



「ちょ、ちょっと!何やって…っ」

「……甘い」

「あ、甘い…?」



何が?

俺何も付けてないんですけど…、鼻可笑しいんじゃねぇの?



「食ったら、もっと甘いのか?」

「っ!?」



会長の低音ボイスが鼓膜を直撃すると変な感覚に身を捩る。
これが俗に言うイケボって奴なのか。男の俺でさえ腰に来るものがあるのにこんなの直に食らったら女の子だったら一溜まりもないだろう。良かった俺男で…、じゃなくて!何この体勢にこの距離感!?男相手に何してんの!?悪ふざけも大概にしないとマジで怒るぞ!



「ちょ…、マジで何これ!?セクハラも大概にしろよ!」

「セクハラとは心外だな。こっちはマジだって言うのに」

「はぁ!?」



迫って来る会長の顔を手で押し返してはいるが中々離れてくれず押し問答が続いている。
そんな中、玄関とリビングを繋ぐドアがバタンと大きな音を立てて開かれた。


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