嘘でいいから、 抱きしめて
序章◇世界でいちばん
「─やっぱり、君は趣味が悪いと思うんだ」
「……」
その言葉に珈琲を飲んでいた男は、ピタリと動きを止めた。
そんな男の様子も知らず、白いワンピースを着た女は自信なさげにそう言いながら、隣室から顔を出す。
「やっぱり、僕には……私には似合わないと思うんだよ」
長く、美しい黒髪。
シンプルな服を望まれ、男が選んだ白いワンピース。
「君が用意してくれたから、着たけどさ。─どう?変だろ?というか、大体、今日はどこに行くんだよ?」
白いワンピースの裾を掴んで、くるくる回る婚約者。
見た目にそぐわない口調は、男の耳によく馴染んでいて、男はため息をこぼした。
「続け様に喋るな。あと、趣味が悪いというのは心外だ。実際、今の君もとても綺麗で可愛いからな。今日行くところは、教会。結婚式の準備をしなければならないだろう」
「………………は?」
綺麗で可愛いと褒められて、照れる時間すら与えられず、爆弾を落とされた。それに驚いて、思わず声が出る。
すると、男は立ち上がり、女の手を取った。
険しい顔をしているが、勘違いしているだろう。
「は?、とは、なんだ。君は僕の妻になるんだ。先月から婚約していると思っていたが、違うのか?今更、逃げようとしても無駄だからやめておいた方が良いと思うが」
凄く怖い顔で、左手の薬指を掴まれる。
痛くは無いが、擽ったくて仕方がない。
「い、いや!そうじゃなくて!君の家は、伝統的な神前式のはずだろう?結婚式や教会の話なんて聞いてないよ」
案の定の勘違いに、慌てて訂正を入れる。
逃げられないことなんて知っている。1度試した。
逃げることは不可能で、無駄だと自覚した。
今更、そんなことはしない。……したくもない。
「大体、2回も結婚式をやる必要は?どっちにしろ、関係者しか招かないのに」
女は神前式に向けて、衣装合わせや礼儀作法などを学んでいる最中だった。今日は婚約者殿の仕事が休みの日のため、義母となる人にお願いし、行っている花嫁修業?らしきものは、お休みの日。
だから、彼とデートをしようと思っていたのだが。
─話が思わぬ方向に進みそうである。
「僕が見たくて」
「何?」
「見たいんだよ、君のウエディングドレス姿も」
「……」
あまりにも直球な言葉に、何も言えなくなる。
「で、でも、僕の方はあまり招待客が」
「?、何を言っているんだ。多くいるだろう?君の家族に、結婚式に参列させろ、と、僕は言われているが?」
「……」
家族。─そうか、あの日々を過ごした仲間も、家族か。
同じ苗字を持ち、同じ仕事をし、同じように笑った。
偽りの姿だったにも関わらず、僕は今も彼らの。
認めていいのか。騙していたのに。
信じていいのか。僕も彼らの一員だと。
「……全く。泣く時に、我慢するなと教えただろう」
喉の熱さと震えを誤魔化すように俯けば、すぐに抱き締められ、後頭部を優しく撫でられる。安心する温もりと匂いに目を閉じると、雫が頬を濡らす。
「彼らにとって、君は家族だ。大切な存在だ。君を幸せにしなければ許さないと、何度も言われた。君は愛が分からないと言っていたが、もう分かるだろう?」
涙を拭う手に頬を撫でられる。返事の代わりに、その手に頬を寄せると、彼は微笑み、額にキスをしてくれた。
「─わかるよ。君が愛してくれたから」
優しく、大切に、抱き締めてくれたから。
数年前は、こんなことになるなんて思わなかった。
君に“特別”を抱いていると理解した時、泣いた僕に。
君は根気強く、何度も教えてくれた。
「愛している」
もう一度抱き締められ、耳元で贈られる言葉。
大好きな声。大好きな温もり。─僕の、君。
「……僕も、君を愛してる」
背中を手を回すと、それを合図に、満足気な彼の表情が視界に入る。同時に触れ合う額、そして。
「……っ」
─大袈裟だと、君は笑うだろうか。
でも、今、僕は僕が世界でいちばん幸せだと思う。
君がいなければ、僕はこうして泣くことは無かった。
幸せでも、涙は零れるものだと、知らなかった。
「見せてくれるか、ウエディングドレス姿」
「……そんなに見たいの」
「見たい」
「フフッ、なら、良いよ」
正直、似合わないと思うけど。君が望むのなら。
「……楽しみだな」
「うん」
彼の腕に包まれながら、女はそっと目を閉じた。